盛岡さんさ踊りもりおかさんさおどり

発祥は近世初期の城下盛岡の都市形成期の頃と言われている。さんさ踊りの発祥として多く語られているのは、盛岡市名須川町の三ツ石神社にまつわる「三ツ石伝説」に由来する。その昔、南部盛岡城下に羅刹(らせつ)という鬼が現れ、悪さをして暴れており、困り果てた里人たちは、三ツ石神社の神様に悪鬼の退治を祈願した。その願いを聞き入れた神様は悪鬼をとらえ、二度と悪さをしないよう誓いの証として、境内の大きな三ツ石に鬼の手形を押させた。鬼の退散を喜んだ里人たちが、三ツ石のまわりを「さんささんさ」と踊ったのが「さんさ踊り」の始まりだと言われる。
 また、さんさ踊りの呼称は、菅江真澄*の「鄙廼(ひなの)一曲(ひとふし)」(東国の民謡集)にその名が見られ、天明年間(1780年頃)には踊りの芸能化が進んでいたことが知られる。各地域ごとに受け継がれた独自の踊りを誰もが踊りやすいようにと統一し、パレード等では、「七夕くずし」「栄夜差(えやさ)踊り」「福呼(ふっこ)踊り」の3種類の踊りがある。
 「盛岡さんさ踊り」は、毎年8月1日~4日の日程で中央通(岩手県公会堂前から約500m)をパレードする祭典である。2014(平成26)年、「和太鼓の同時演奏記録」の世界一奪還を記念した大パレードが最終日(8月4日)のみ行われる。パレードのあとは、誰でも参加が可能な輪踊りが、会場内6つのポイントで行われる。
 もともと東北には「東北三大夏祭り」*など有名な夏祭りがあり、盛岡でも夏を代表するまつりが待ち望まれていた。盛岡の街の特徴でもある「川」や「水」をテーマに、「川まつり」を実施してきたが、発展・定着はせず、試行錯誤を繰り返していた。そうした中、「川まつり」で取り入れられた、さんさ踊りが市民から好評を得たことから、「さんさ踊り」をメインに1978(昭和53)年に、「盛岡夏祭り・さんさ踊り」を実施。市民が総参加できる踊りを目指し、難しい伝統のさんさ踊りではなく、誰でも簡単に踊れるものとして、現在の盛岡さんさ踊りが完成した。本来のさんさ踊りは輪踊りだが、統一さんさ踊りは、パレード形式で演技するように創作された。
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みどころ

開始当初は知名度も低かったが、主催者や地元マスコミがPRに努め、現在では知名度も向上し、東北を代表する夏祭りに数えられるようになった。
 さんさ踊りの大パレードがとにかく圧巻で、太鼓と「サッコラチョイワヤッセ」の掛け声によって見ている人のテンションをどんどん上げていく。高揚した気分を受け止めてくれるのは、パレード後に行われる輪踊りで、誰でも参加できる。もちろん観覧するのみの楽しみ方でも十分ではあるが、恥ずかしがらずにぜひ飛び込んでみてほしい。
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補足情報

*菅江真澄:1754(宝暦4)年~1829(文政12)年。 江戸時代中期から後期の国学者、紀行家。三河(愛知県)の人。国学、本草学を学び、1783(天明3)年より信濃、奥羽、蝦夷地などを遍歴。1801(享和元)年から主に出羽久保田藩領内に居住。旅先での地理、風俗を挿絵入りで記録した日記「真澄遊覧記」や、地誌、随筆を残した。本姓は白井、名は秀雄。
*東北三大夏祭り:一般的には、青森ねぶた祭(青森県青森市)、秋田竿燈まつり(秋田県秋田市)、仙台七夕まつり(宮城県仙台市)を指すことが多い。これに、盛岡さんさ踊り(岩手県盛岡市)、山形花笠まつり(山形県山形市)を含めると、東北五大夏祭りと言われることもある。