弘前のりんご畑ひろさきのりんごはたけ

弘前市はリンゴの生産が盛んで年間18.2万トンと日本一、全国73.7万トン(2022(令和4)年)の約1/4を占めている。春夏秋冬の区分がはっきりし、昼夜の温度差が非常に大きい気象がりんごの栽培に適し、津軽地方の「じょっぱり」と呼ばれる真面目で負けず嫌いの頑固な気質がりんご生産に生かされていると言われている。
 1877(明治10)年に養蚕家山野茂樹が屋敷の畑(現在の弘前大学医学部*敷地内)に試植し初めて3個のリンゴを収穫したのが弘前市におけるリンゴの栽培の始まりである。元弘前藩士でリンゴの開祖と言われる「菊池楯衛*」が苗木を継ぎ木で増やす方法を確立していった。明治維新で職を失った武士が、このリンゴ栽培法でリンゴ栽培をひろめたという。木の真ん中の幹を切る「芯どめ」することにより枝を横に広げ収穫しやすくできることと、根が活性化してリンゴの木の寿命が延びるによりさらに生産量が伸びていったという。この「芯どめ」の方法は、弘前公園の桜の木の育成管理にも応用され日本有数のさくらの名所になっている。
 弘前市の中心街から西約3km、約9.7haの敷地に、80種、約2,300本のリンゴ樹が植えられている「りんご公園」がある。園内には、りんごにこだわった商品が並ぶ「りんごの家」、岩木山を一望できる「すり鉢山展望台」、市文化財の「旧小山内家住宅」、シードルを醸造する工房「kimori」等がありりんご観光の中心施設である。
 弘前市の周辺の板柳町や藤崎町もリンゴ栽培が盛んである。板柳町はJR板柳駅の西側に、全長2.1kmの中央アップルモールと名付けられた散歩道に様々なリンゴの紹介やモニュメントが配置されている。藤崎町はリンゴの品種「ふじ」発祥の地であり、今でも新しい品種の研究開発が行われている。
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みどころ

弘前市およびその周辺の道路はりんごの果樹園が続き、秋の収穫時期にはたわわに実った赤いリンゴの中に黄色いリンゴも交り美しい景観が続く。特に岩木山をバックにした収穫期のりんご畑は絵になる風景で、どこで写真撮影したらよいか車窓から迷うほどである。りんご公園は写真撮影のスポットが多く、限りなく続くりんご畑の向うに、美しい岩木山を望むすり鉢山の展望台がある。
 りんご公園では11月に「ひろさきりんご収穫祭」や、りんご生産者が集結して弘前産のリンゴの即売会「りんごトラック市」が開催される。リンゴの花の咲き始める5月「弘前りんご花まつり」が開催される。リンゴの白い花が一面に展開する景観は収穫期に匹敵する美しさである。1952(昭和27)年にわが国でヒットした美空ひばりの「リンゴ追分」の歌の合間のセリフ「お岩木山のてっぺんを、綿みてえな白い雲が、ポッカリポッカリながれてゆき、桃の花が咲き、桜が咲き、そっから早咲きのリンゴの花ッコが咲く頃が、おら達の一番たのしい季節だなやー。」が有名であり、昭和世代には懐かしい。
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補足情報

*弘前大学医学部:弘前市在府町。弘前城の南約500mにある。敷地内の大黒松小公園内にリンゴ初生り(はつなり)の碑がある。
*菊池楯衛:1846~1918年。明治-大正時代の果樹園芸家。1877(明治10)年北海道開拓使農場で果樹栽培法を学び帰郷。化育社を結成してリンゴの接ぎ木繁殖を研究し、技術の指導と苗木の供給につくした。