青森のねぶた・ねぷた
東北三大祭り*のひとつで、短い夏を謳歌するように熱気を帯びた祭りである。「ねぶた」や「ねぷた」などと言われ、名称は各地で若干異なるが青森県内各地域40箇所以上で7~8月に開催されている。禊祓(みそぎはらえ)などその起源*も諸説あるが、古くから大切に受け継がれてきた伝統行事。あかりを灯した巨大な灯籠(=ねぶた)を山車に乗せて練り歩くとても華やかな祭りとして知られている。
ねぶたの発祥は享保年間(1716~1736年)の記録がある。当時のねぶたは京都の祇園祭の山車に似ており、現在のような歌舞伎などを題材にしたのは文化年間(1804~1818年)と指摘されている。また当時は大半が担ぎねぶただったという。明治時代に入って青森ねぶたは一層大型化し約20mの大型ねぶたを100人で担いだといわれている。以前は、巨大な灯籠はロウソクで内部から照らしていたが、昭和の中頃からはバッテリーや発電機も使用されるようになり、ほどんどの照明が電気へと移行していく。第二次大戦後ねぶたも大型化、巨大化してきらびやかで勇壮な祭りとなって現在に至っている。
ねぶた、ねぷたというのは、語源が「眠たい」という意味の津軽弁「ねぶたい」「ねぷたい」からきているという。「ねぶた」は青森市や県北地域、「ねぷた」は弘前市や黒石市など青森県西部地域で呼ばれている。夏は農作業でもあまりすることがなく眠たくなる、その眠気を払うために祭りをというのが始まりと言われている。
青森県内のねぶた、ねぷたの中でも、青森ねぶた・弘前ねぷた・五所川原立佞武多(たちねぷた)が盛大で魅力的な祭りと言われている。青森ねぶたは青森市内で行われるもので山車だけでなく一般の人々が参加し、賑やかさと豪放さが特徴。弘前ねぷたは上品で優雅といった特徴がある。五所川原立佞武多の特徴はなんといっても山車の高さである。
ねぶたの発祥は享保年間(1716~1736年)の記録がある。当時のねぶたは京都の祇園祭の山車に似ており、現在のような歌舞伎などを題材にしたのは文化年間(1804~1818年)と指摘されている。また当時は大半が担ぎねぶただったという。明治時代に入って青森ねぶたは一層大型化し約20mの大型ねぶたを100人で担いだといわれている。以前は、巨大な灯籠はロウソクで内部から照らしていたが、昭和の中頃からはバッテリーや発電機も使用されるようになり、ほどんどの照明が電気へと移行していく。第二次大戦後ねぶたも大型化、巨大化してきらびやかで勇壮な祭りとなって現在に至っている。
ねぶた、ねぷたというのは、語源が「眠たい」という意味の津軽弁「ねぶたい」「ねぷたい」からきているという。「ねぶた」は青森市や県北地域、「ねぷた」は弘前市や黒石市など青森県西部地域で呼ばれている。夏は農作業でもあまりすることがなく眠たくなる、その眠気を払うために祭りをというのが始まりと言われている。
青森県内のねぶた、ねぷたの中でも、青森ねぶた・弘前ねぷた・五所川原立佞武多(たちねぷた)が盛大で魅力的な祭りと言われている。青森ねぶたは青森市内で行われるもので山車だけでなく一般の人々が参加し、賑やかさと豪放さが特徴。弘前ねぷたは上品で優雅といった特徴がある。五所川原立佞武多の特徴はなんといっても山車の高さである。
みどころ
「ねぶた」と「ねぷた」の祭りの魅力は、山車の大きさと形の面白さに加え骨組みの上の和紙に描かれる極彩色の絵柄にあるといえる。テーマの独自性と描かれる派手さは、青森県特有のものであろう。以下に主な3箇所の祭りを紹介する。
●青森ねぶた
山車の上に乗せられた紙張りの巨大な人形に武者絵などが描かれる。武者同志、武者とへびや龍、鬼などとの激しい戦いの場面や、金魚や人気キャラクターなどのユーモラスなものもある。行列は山車を中心に、太鼓や笛、鳴物の音色に合わせて「ラッセラー!ラッセラー!」のかけ声とともに「ハネト*」がエネルギッシュでパワフルに踊り歩いて行く。一般の市民や観光客もルール*を守って参加することが可能である。見どころは八月五・六日夜の連合運行で、祭り期間中最大数の大型ねぶたが全3.1㎞の運行コースを練り歩く。また最終日に山車が船に引かれて青森港の海上に去っていくフィナーレがあり、来年への期待とともに一抹の寂しさ漂わせる。
山車人形は青森駅前の「ねぶたの家 ワ・ラッセ」で一年中見ることができる。
●弘前ねぷた
青森市の「ねぶた」のエネルギッシュでパワフルに対し、弘前においては「ねぷた」と呼ばれ上品で優雅さがある祭りでかつ歴史*も古い。錦絵のように描かれている武者絵など扇型の燈篭を主としているのが特徴である。土手町通りが賑やかであり、交差点などで山車の台車の上でくるくる回される扇灯籠が見どころである。最終日は「なぬか日」と呼ばれ、河川敷でねぷたを燃やす盛大なフィナーレが行われる。
大太鼓や山車人形、扇灯籠は弘前藩ねぷた村や弘前市観光館で見ることができる。
●五所川原立佞武多
他地域のねぶた、ねぷたは横に広がる大きさに特徴があるが、五所川原では最大で23mもある山車の高さの迫力にある。明治から大正時代まで高さ18m以上の巨大ねぷたが町を練り歩いていたが、町の近代化に伴い電線が街中を張りめぐらされたため道路を運行できなくなっていき、その姿を消した。1996(平成8)年1枚の写真を元に、五所川原の有志たちにより、高さ20m強のねぷたを復元させる。「立佞武多」と命名。これをきっかけに運行コース上の電線は地中に埋められ、1998(平成10)年8月5日、ついに立佞武多は五所川原市内を練り歩くことが出来るようになった。こうした地元の人たちの熱い思いに心打たれる。祭りの期間、ビル7階分高さ約23m、重さ約19tのねぷたは約70人によって曳かれ練り歩く姿に圧倒される。また夕方に「立佞武多の館」から巨大な立佞武多が出てくる様子も見どころのひとつである。
立佞武多の館では、大型立佞武多3台を常時観覧することができ、併設の製作所で、製作現場も見学できる。
●青森ねぶた
山車の上に乗せられた紙張りの巨大な人形に武者絵などが描かれる。武者同志、武者とへびや龍、鬼などとの激しい戦いの場面や、金魚や人気キャラクターなどのユーモラスなものもある。行列は山車を中心に、太鼓や笛、鳴物の音色に合わせて「ラッセラー!ラッセラー!」のかけ声とともに「ハネト*」がエネルギッシュでパワフルに踊り歩いて行く。一般の市民や観光客もルール*を守って参加することが可能である。見どころは八月五・六日夜の連合運行で、祭り期間中最大数の大型ねぶたが全3.1㎞の運行コースを練り歩く。また最終日に山車が船に引かれて青森港の海上に去っていくフィナーレがあり、来年への期待とともに一抹の寂しさ漂わせる。
山車人形は青森駅前の「ねぶたの家 ワ・ラッセ」で一年中見ることができる。
●弘前ねぷた
青森市の「ねぶた」のエネルギッシュでパワフルに対し、弘前においては「ねぷた」と呼ばれ上品で優雅さがある祭りでかつ歴史*も古い。錦絵のように描かれている武者絵など扇型の燈篭を主としているのが特徴である。土手町通りが賑やかであり、交差点などで山車の台車の上でくるくる回される扇灯籠が見どころである。最終日は「なぬか日」と呼ばれ、河川敷でねぷたを燃やす盛大なフィナーレが行われる。
大太鼓や山車人形、扇灯籠は弘前藩ねぷた村や弘前市観光館で見ることができる。
●五所川原立佞武多
他地域のねぶた、ねぷたは横に広がる大きさに特徴があるが、五所川原では最大で23mもある山車の高さの迫力にある。明治から大正時代まで高さ18m以上の巨大ねぷたが町を練り歩いていたが、町の近代化に伴い電線が街中を張りめぐらされたため道路を運行できなくなっていき、その姿を消した。1996(平成8)年1枚の写真を元に、五所川原の有志たちにより、高さ20m強のねぷたを復元させる。「立佞武多」と命名。これをきっかけに運行コース上の電線は地中に埋められ、1998(平成10)年8月5日、ついに立佞武多は五所川原市内を練り歩くことが出来るようになった。こうした地元の人たちの熱い思いに心打たれる。祭りの期間、ビル7階分高さ約23m、重さ約19tのねぷたは約70人によって曳かれ練り歩く姿に圧倒される。また夕方に「立佞武多の館」から巨大な立佞武多が出てくる様子も見どころのひとつである。
立佞武多の館では、大型立佞武多3台を常時観覧することができ、併設の製作所で、製作現場も見学できる。
補足情報
*東北三大祭り:仙台七夕、秋田竿灯、青森のねぶた
*起源:柳田国男「年中行事覚書 眠流し考」(青空文庫)にねぶた発展の歴史の説が詳しく記述されている。
*ハネト:「ハネト=跳人」という意味で、お囃子のリズムに合わせて飛び跳ね、「ラッセラー!ラッセラー!」と掛け声をかけながら山車と共に街中を練り歩く。かつては「カラス」と呼ばれる若者たちが祭りに乗じて浮かれ騒いで問題視されたこともある。
*参加するためのルール:ハネトの衣装を着用すること(最近は自由になり変装姿も多い)、鳴り物などを持ち込まないこと、参加団体の運営方針に従うこと。
*歴史:弘前は「国日記」によれば1722(享保7)年弘前藩代5代藩主津軽信寿(のぶとし)が上覧しているとの記述があり、これが最も古い記録である。
*起源:柳田国男「年中行事覚書 眠流し考」(青空文庫)にねぶた発展の歴史の説が詳しく記述されている。
*ハネト:「ハネト=跳人」という意味で、お囃子のリズムに合わせて飛び跳ね、「ラッセラー!ラッセラー!」と掛け声をかけながら山車と共に街中を練り歩く。かつては「カラス」と呼ばれる若者たちが祭りに乗じて浮かれ騒いで問題視されたこともある。
*参加するためのルール:ハネトの衣装を着用すること(最近は自由になり変装姿も多い)、鳴り物などを持ち込まないこと、参加団体の運営方針に従うこと。
*歴史:弘前は「国日記」によれば1722(享保7)年弘前藩代5代藩主津軽信寿(のぶとし)が上覧しているとの記述があり、これが最も古い記録である。
2023年10月現在
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