豊橋市は県南東部にあり、東は弓張山地を境に静岡県浜松市・湖西市、南西は田原町、北は豊川市、新城市に接し、南は遠州灘、西は三河湾に面する。東三河地方の中心都市。
 JR東海道本線、飯田線、東海道新幹線(豊橋駅)、名古屋鉄道本線、豊橋鉄道渥美線の結節点になっている。また、国道1号、259号、42号、23号、362号、151号が通じる。また、豊橋駅から東部の赤岩口まで路面電車(豊橋本線東田線)が走る。
 豊川下流南岸に位置。地形はおおむね平坦で、東の山地から西の三河湾へと緩やかに傾斜し、南部は台地を形成し、急な崖で太平洋に面している。河川は豊川のほか梅田川、柳生川などが流れる。東に石巻山を含む弓張山地があり、三河山間部を源流とする豊川、遠浅の閉鎖性海域である三河湾、黒潮が流れる表浜(太平洋)に接するなど、様々なタイプの自然に恵まれる。また、地形や地質など地盤の特性、植生や水環境など生物生息空間に特徴がある。
 1906年(明治39)市制施行。昭和期に数回の周辺町村の編入をおこない、1999年(平成11)中核市に移行。県下二番目の市制都市。古代は飽海、中世は今橋、吉田とよばれ、1869年(明治2)に豊橋と改名された。市名は「豊川に架かっている橋」の意味で、橋は現在の吉田大橋の下流600mにあった。1505年(永正2)牧野古白の築城による今橋城は、その後、吉田城となり、1590年(天正18)には池田輝政が入城し、15万石にふさわしい城および城下町の改造がなされた。東海道五十三次の宿場町である吉田宿と二川宿があり、吉田宿は城下町と港町を兼ねて繁栄した。明治維新後は軍都となった。戦前は製糸の町で全国一の玉糸の産地だった。
 臨海工業地帯に近代的大工場群が立地し、豊橋港を中心とした三河港も重要港湾の指定を受け、貿易港として機能している。農業ではハクサイ、つまもの野菜、キャベツなどの野菜、花卉や養豚、養鶏のほか、ウズラの飼養などが盛ん。水産業はウナギ、ノリの養殖地帯として有名。北部丘陵地帯では「石巻の柿」で有名な次郎柿をはじめ、イチゴ、モモ、ブドウなどの果樹栽培が盛ん。地場産業として、筆づくり、ちくわ、ゼリーなどの食品加工がある。
 国指定の重要文化財に東観音の多宝塔、普門寺の釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、四天王立像、国の史跡に瓜郷遺跡、嵩山蛇穴、国の天然記念物に石巻山石灰岩地植物群落がある。牛川町の石灰岩採石場では、旧石器時代の人骨ではないかとして一躍注目を浴びた牛川人が発見された。市中央部にある吉田城跡の豊橋公園には、復原された鉄櫓の他、野球場などのスポーツ施設と美術博物館がある。東部には、当時の町並みを残す二川宿があり、旧本陣馬場家が「二川宿本陣宿帳」(県指定文化財)を保存し、二川本陣資料館があるほか、総合動植物公園、自然史博物館、地下資源館、視聴覚センターなどの文教施設や、岩田運動公園などのスポーツ施設、東海の小尾瀬として知られる葦毛湿原がある。西部には総合体育館、ライフポートとよはし、アクアリーナ豊橋、ポートインフォメーションセンターなどがある。太平洋に面する表浜海岸は、アカウミガメの産卵地として知られる。最北端には初夏に美しい花しょうぶを咲かせる賀茂しょうぶ園がある。

観光資源一覧

豊橋祇園祭の写真

写真提供:吉田神社

豊橋祇園祭 (愛知県 豊橋市 )

豊橋祇園祭は、手筒花火発祥の地として知られる吉田神社の例祭であり、毎年7月第3金曜より三日間にわたり開催される。初日の大筒練り込みと神社境内での神前手筒花火奉納を皮切りに、二日目は神社北側を流れる豊川の河川敷で、スターマインや仕掛け花火など12,000発の花火が打ち上げられ、豊橋の夜空を彩る。最終日は本祭である神輿渡御、通...