豊橋祇園祭とよはしぎおんまつり

豊橋祇園祭は、手筒花火発祥の地として知られる吉田神社の例祭であり、毎年7月第3金曜より三日間にわたり開催される。初日の大筒練り込みと神社境内での神前手筒花火奉納を皮切りに、二日目は神社北側を流れる豊川の河川敷で、スターマインや仕掛け花火など12,000発の花火が打ち上げられ、豊橋の夜空を彩る。最終日は本祭である神輿渡御、通称「頼朝行列」が厳かに行われ、頼朝や笹踊り、饅頭配りなどが神輿を中心に氏子町内を練り歩く。
 花火の創始については定かではないが、永禄元年(1558)には祭礼の花火が始まったとの伝承が残っている。徳川家康の出身地である三河地方では、火薬の製造や貯蔵に関する規制が他藩よりも寛大であったことや、神社が吉田城郭内に鎮座したことから、吉田藩主の積極的な援助を受け、祭礼は花火祭として大いに発展した。
 滝沢馬琴は「羇旅漫録(きりょまんろく)」の中で、″吉田の今日の花火天下一″と讃えている。
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みどころ

手筒花火は、節を抜いた孟宗竹に縄を巻き、火薬を詰めたもの。竹取りから縄巻、火薬詰めまで、揚げ手自らが作る。激しい火柱を噴出する筒をわきに抱え、火の粉を浴びながら微動だにせず、最後の「ズドン!」というハネに耐える。この勇壮な姿が手筒花火最大の魅力である。
 大型の筒花火で、台に固定したまま放揚される「大筒花火」も見所の一つ。大筒花火(台物)は、初日の午後に氏子衆に担がれて各町内を巡り(大筒の練り込み)、夕方頃には全ての町内の台物が神社へ集合する。点火は二人一組で行われ、一人が筒の入り口から火の粉が入らないように覆いかぶさり、その間、もう一人は種火で″水″の字を三度空中に描く。それが終わると筒にかぶさった一人は身を起こし、大筒花火に点火する。これを振り込みといい、その年の町内の代表が担うことになっている。