八千代座で上演される歌舞伎
八千代座のある山鹿市中心部までは、九州自動車道菊水ICから東北東へ約8km、車で約15分。
八千代座は、1910(明治43)年、山鹿の商工会が町の繁栄を図るため劇場組合を作り、1株30円の株を募って建てた木造2層の本格的な芝居小屋。入母屋造妻入、瓦葺の本屋の周囲に瓦葺の庇を設けている。間口約29m、奥行き約35mの建物で、正面に櫓を立て、客席は正面が枡席で、左右は1.2階とも桟敷である。客席の格天井と小壁には、色彩豊かな当時の広告が描かれている。ドイツ製のレールを使った廻り舞台や桝席・花道など充実した機能を持ち、江戸時代の歌舞伎小屋の様式を今に伝える。当時の定員は1270余名。
設計及び工事監督者は、回船問屋の主人で灯籠師でもあった木村亀太郎。設計にあたっては全国の芝居小屋を丹念に見学し、勉強のため上海の劇場も視察し、洋式工法の長所も取り入れて和洋折衷の芝居小屋を完成させた。画才もあり八千代座の天井広告の下絵も描いている。
1911(明治44)年のこけら落としでは本格的な大歌舞伎が行われた。大正から昭和のはじめにかけての興行記録簿には、歌舞伎をはじめとした当代随一といわれる芸能人が名前を連ね、また、市の催物や学芸会にも頻繁に利用され、八千代座はいつも山鹿の文化の中心にあった。しかし、昭和40年代になると庶民の娯楽が多様化しその影響を受けて閉館。1980(昭和55)年、組合は建物を山鹿市に寄贈した。老朽化が進む中、その華やかな頃を知る年配者が立ち上がり、「瓦一枚運動」で募金を募り、屋根瓦を修復。これを機に、この運動に刺激を受けた若者も復興へ向けての様々な活動を始めるようになる。その後、1988(昭和63)年には国の重要文化財に指定され、1996(平成8)年からは「平成の大修復・復原」が始まり、2001(平成13)年に完了し現在に至る。
平成になると、片岡仁左衛門らが八千代座で公演するようになった。中でも歌舞伎界を代表する女形で現在、人間国宝の坂東玉三郎は、1990(平成2年)から舞踊公演を続け、劇場の復興に尽力している。坂東玉三郎の公演は、「平成の大修復・復原」の時期を除いて、毎年行われてきた公演は2022(令和4)年にいったん終了したが、2024(令和6)年5月には特別公演が行われた。
なお、歌舞伎公演の他にも、年間を通して八千代座では講演会や音楽会などが開催されている。貸館としての利用のない開館日の9時~18時(最終受付17時30分)には「八千代座」のほか、古い映写機や小道具、興行記録などを展示している八千代座管理資料館「夢小蔵」を見学することができる(有料)。
八千代座は、1910(明治43)年、山鹿の商工会が町の繁栄を図るため劇場組合を作り、1株30円の株を募って建てた木造2層の本格的な芝居小屋。入母屋造妻入、瓦葺の本屋の周囲に瓦葺の庇を設けている。間口約29m、奥行き約35mの建物で、正面に櫓を立て、客席は正面が枡席で、左右は1.2階とも桟敷である。客席の格天井と小壁には、色彩豊かな当時の広告が描かれている。ドイツ製のレールを使った廻り舞台や桝席・花道など充実した機能を持ち、江戸時代の歌舞伎小屋の様式を今に伝える。当時の定員は1270余名。
設計及び工事監督者は、回船問屋の主人で灯籠師でもあった木村亀太郎。設計にあたっては全国の芝居小屋を丹念に見学し、勉強のため上海の劇場も視察し、洋式工法の長所も取り入れて和洋折衷の芝居小屋を完成させた。画才もあり八千代座の天井広告の下絵も描いている。
1911(明治44)年のこけら落としでは本格的な大歌舞伎が行われた。大正から昭和のはじめにかけての興行記録簿には、歌舞伎をはじめとした当代随一といわれる芸能人が名前を連ね、また、市の催物や学芸会にも頻繁に利用され、八千代座はいつも山鹿の文化の中心にあった。しかし、昭和40年代になると庶民の娯楽が多様化しその影響を受けて閉館。1980(昭和55)年、組合は建物を山鹿市に寄贈した。老朽化が進む中、その華やかな頃を知る年配者が立ち上がり、「瓦一枚運動」で募金を募り、屋根瓦を修復。これを機に、この運動に刺激を受けた若者も復興へ向けての様々な活動を始めるようになる。その後、1988(昭和63)年には国の重要文化財に指定され、1996(平成8)年からは「平成の大修復・復原」が始まり、2001(平成13)年に完了し現在に至る。
平成になると、片岡仁左衛門らが八千代座で公演するようになった。中でも歌舞伎界を代表する女形で現在、人間国宝の坂東玉三郎は、1990(平成2年)から舞踊公演を続け、劇場の復興に尽力している。坂東玉三郎の公演は、「平成の大修復・復原」の時期を除いて、毎年行われてきた公演は2022(令和4)年にいったん終了したが、2024(令和6)年5月には特別公演が行われた。
なお、歌舞伎公演の他にも、年間を通して八千代座では講演会や音楽会などが開催されている。貸館としての利用のない開館日の9時~18時(最終受付17時30分)には「八千代座」のほか、古い映写機や小道具、興行記録などを展示している八千代座管理資料館「夢小蔵」を見学することができる(有料)。
みどころ
館内に入りスタッフの解説*を聞くと、国指定重要文化財「八千代座」を隅々まで堪能することができる。木戸口を通り中に入ると、目の前には見事な松羽目のある舞台と、取り囲む客席、頭上には色鮮やかな天井絵の数々。これらは八千代座界隈にある商店の広告で、創建当初の資料をもとに再現したものとのこと。天井から下がる真鍮製のシャンデリアがさらに華やかさを加えている。長い年月を経て艶やかで磨き抜かれた床には、風格さえ感じる。思い思いに枡席に座り、「テケツ」「花道」「廻り舞台」「上手・下手」「特等席」「すっぽん(人力操作のセリ)」などについて楽しく解説を受けた後は、舞台、楽屋に続いて、奈落(地下)では廻り舞台やすっぽんを見学。建築当時の技術力と工夫に驚かされる。
長年、八千代座の復興に尽力してきた坂東玉三郎は、八千代座の100周年(2010(平成22)年)の特別舞踊公演の取材で、「八千代座の良いところは、お客様との親近感、劇場と演者が一つになる事のできる大きさや形が備わっているところだと思います。そして、お客様にとりましても都会とはちょっと違った環境で観るというのも魅力ではないでしょうか。以前、八千代座で『羽衣』を上演したときに、花道の引込みがお客様のすぐ近くになりますので、天に上がっていく振りに独特の雰囲気がでて、皆さまがとても楽しんでくださいました。こういうものは芝居小屋独特のものだと思います。『吉野山』は道具や、花四天などを入れると、八千代座の舞台ではいっぱいいっぱいなのですが、その厚みや豪華さというのが小さい劇場だからこその味わいになるのではないでしょうか。」と語っている。
役者の息遣いまで感じることのできる八千代座でぜひ舞台を鑑賞してみたい。
長年、八千代座の復興に尽力してきた坂東玉三郎は、八千代座の100周年(2010(平成22)年)の特別舞踊公演の取材で、「八千代座の良いところは、お客様との親近感、劇場と演者が一つになる事のできる大きさや形が備わっているところだと思います。そして、お客様にとりましても都会とはちょっと違った環境で観るというのも魅力ではないでしょうか。以前、八千代座で『羽衣』を上演したときに、花道の引込みがお客様のすぐ近くになりますので、天に上がっていく振りに独特の雰囲気がでて、皆さまがとても楽しんでくださいました。こういうものは芝居小屋独特のものだと思います。『吉野山』は道具や、花四天などを入れると、八千代座の舞台ではいっぱいいっぱいなのですが、その厚みや豪華さというのが小さい劇場だからこその味わいになるのではないでしょうか。」と語っている。
役者の息遣いまで感じることのできる八千代座でぜひ舞台を鑑賞してみたい。
補足情報
*スタッフによる解説は1時間おき(毎時30分頃~)に行われている。
関連リンク | 八千代座(WEBサイト) |
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参考文献 |
八千代座(WEBサイト) 山鹿市観光課(WEBサイト) 山鹿市(WEBサイト) 歌舞伎公式総合サイト「歌舞伎美人(かぶきびと)」(WEBサイト) |
2024年12月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。