天草西海岸
天草下島*の西海岸域一帯(以下、天草西海岸)は、熊本市から西南西へ約80km、車で約2時間半の距離にあり、天草灘(東シナ海)に面している。
天草西海岸は、約7500万年前に堆積した姫浦層群などの地層が隆起し、波の侵食によってできた高さ数十mに及ぶリアス式海岸で、海蝕洞門や鍾乳石も見られる。また海には大小様々な島や岩礁が浮かぶ。天草西海岸を含む天草地域は、1956(昭和31)年7月20日に「雲仙天草国立公園*」に指定された。天草西海岸の中央からやや南に位置する西平椿公園から望む大ヶ瀬周辺は、1971(昭和45)年7月に海の景観を維持することを目的として、天草の他の2地域(富岡、牛深)とともに日本初の海中公園(現在、海域公園)に指定されている。
大ヶ瀬は、沖合い約1.1km周辺の大小10個余の岩礁からなり、一番高いものは約18m。大ヶ瀬の南方2.8kmの海上の岩礁は小ヶ瀬と呼ばれている。岩石は緑泥片岩、砂岩、ホルンフェルス*で構成されており、両岩礁の上には、多数の鵜が飛来して休息地となり、付近の海底には石サンゴ、ウミトサカ、オウギウミヒドラなど熱帯性の生物が生息している。
このほか、天草西海岸を代表する景勝地には、海岸部中央に位置する「妙見浦」があり、史跡名勝天然記念物(国)に指定されている。海岸一帯は高さ20~80mにも及ぶ断崖が連なり、大小の島が岸に接し、手前の大きな島には高さ20m、幅8.5~20m、深さ50mの洞門ができている。洞門は小舟などで簡単に通ることができ、互いに交差し合った断層の海蝕洞門や、鍾乳石が垂れている様子を見ることができる。
海岸部北部の富岡半島は元々は天草下島から離れた離島だったが、海流の影響で約7000年前から徐々に砂が溜まり、砂州によって陸地とつながった陸繋島となった。その後の海流の変化により半島から突き出た部分に砂が溜まり、砂嘴ができあがり現在の形となった。砂嘴には県指定天然記念物のハマジンチョウの群落地がある。
天草西海岸は、約7500万年前に堆積した姫浦層群などの地層が隆起し、波の侵食によってできた高さ数十mに及ぶリアス式海岸で、海蝕洞門や鍾乳石も見られる。また海には大小様々な島や岩礁が浮かぶ。天草西海岸を含む天草地域は、1956(昭和31)年7月20日に「雲仙天草国立公園*」に指定された。天草西海岸の中央からやや南に位置する西平椿公園から望む大ヶ瀬周辺は、1971(昭和45)年7月に海の景観を維持することを目的として、天草の他の2地域(富岡、牛深)とともに日本初の海中公園(現在、海域公園)に指定されている。
大ヶ瀬は、沖合い約1.1km周辺の大小10個余の岩礁からなり、一番高いものは約18m。大ヶ瀬の南方2.8kmの海上の岩礁は小ヶ瀬と呼ばれている。岩石は緑泥片岩、砂岩、ホルンフェルス*で構成されており、両岩礁の上には、多数の鵜が飛来して休息地となり、付近の海底には石サンゴ、ウミトサカ、オウギウミヒドラなど熱帯性の生物が生息している。
このほか、天草西海岸を代表する景勝地には、海岸部中央に位置する「妙見浦」があり、史跡名勝天然記念物(国)に指定されている。海岸一帯は高さ20~80mにも及ぶ断崖が連なり、大小の島が岸に接し、手前の大きな島には高さ20m、幅8.5~20m、深さ50mの洞門ができている。洞門は小舟などで簡単に通ることができ、互いに交差し合った断層の海蝕洞門や、鍾乳石が垂れている様子を見ることができる。
海岸部北部の富岡半島は元々は天草下島から離れた離島だったが、海流の影響で約7000年前から徐々に砂が溜まり、砂州によって陸地とつながった陸繋島となった。その後の海流の変化により半島から突き出た部分に砂が溜まり、砂嘴ができあがり現在の形となった。砂嘴には県指定天然記念物のハマジンチョウの群落地がある。
みどころ
天草下島の西海岸域一帯は、リアス式海岸の断崖絶壁で、天草灘には大小の奇岩が浮かぶ。景勝地の「妙見浦」の妙見崎には小舟が通るほどの大きさの「妙見洞門」があり、十三仏公園展望所から見ると、愛らしい象のシルエットにも似ていることから「ぞうさん岩」と呼ばれている。象の鼻先にあたる部分には、妙見岩があり、祠も祀られている。周辺の海中では熱帯魚も見られ、スキューバダイビングのスポットとともなっている。
風光明媚な風景は、ドライブコースとしても人気が高く、特に東シナ海に沈む夕陽は感動的な風景を見せる。「天草西海岸サンセットライン」とも呼ばれている。西平椿公園から「大ヶ瀬」方向に見る、海中からそびえる岩々の背後に水面を真っ赤に染めながら落ちる夕陽は、息をのむほどに美しい。
不定期にではあるが、天草西海岸の妙見浦や大ヶ瀬、小ヶ瀬、穴観音、マリア像、崎津湾などを回るクルーズや、夕陽を望むクルーズも運航されている。
江戸時代後期の著名な文人 頼山陽*は、天草灘の風景の美しさと雄大さを「泊天草洋*」の漢詩で絶賛した。その同じ風景を今でも目にすることができる。
風光明媚な風景は、ドライブコースとしても人気が高く、特に東シナ海に沈む夕陽は感動的な風景を見せる。「天草西海岸サンセットライン」とも呼ばれている。西平椿公園から「大ヶ瀬」方向に見る、海中からそびえる岩々の背後に水面を真っ赤に染めながら落ちる夕陽は、息をのむほどに美しい。
不定期にではあるが、天草西海岸の妙見浦や大ヶ瀬、小ヶ瀬、穴観音、マリア像、崎津湾などを回るクルーズや、夕陽を望むクルーズも運航されている。
江戸時代後期の著名な文人 頼山陽*は、天草灘の風景の美しさと雄大さを「泊天草洋*」の漢詩で絶賛した。その同じ風景を今でも目にすることができる。
補足情報
*天草下島:熊本県の天草諸島にある島。面積約574.01km2と熊本県最大で、天草市と天草郡苓北町に属する。
*雲仙天草国立公園:長崎県島原半島と熊本県天草諸島に属する国立公園(一部鹿児島県も含む)。雲仙地区は1934(昭和9)年3月16日に「雲仙国立公園」として、瀬戸内海国立公園、霧島国立公園(現・霧島錦江湾国立公園)とともに日本で最初の国立公園に指定された。天草地区は1956(昭和31)年7月20日に編入され、現在の「雲仙天草国立公園」と改称された。陸域面積は283.35km2。
*ホルンフェルス:既存の岩石が変成作用を受けてできた岩石(変成岩)の一種。熱による変成(接触変成作用)によって生じる接触変成岩。
*頼山陽:1781(安永9)~1832(天保3)年。江戸時代後期の歴史家・思想家・漢詩人・文人。大坂生まれ。幼名は久太郎、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた。
*泊天草洋:頼山陽 作
雲耶山耶呉耶越/水天髣髴青一髪/萬里泊舟天草洋/烟横篷窗日漸没/瞥見大魚波間跳/太白當船明似月
(意味)海上に遠く見えるのは、雲だろうか、山だろうか、それとも呉の国だろうか、越の国だろうか。海と空とが接するあたりに、かすかに髪の毛一筋ほどの青いものがぼんやりと見える。万里のかなたに広がるこの天草の洋に舟を泊めているが、夕もやが舟の窓のあたりにたなびいて、太陽はしだいに西の海に沈んで行く。そして、一瞬、大魚の波間にはねる姿がちらりと見えた。空を見上げると、宵の明星が舟の正面に明るく輝いて、月よりも明るかった。
*雲仙天草国立公園:長崎県島原半島と熊本県天草諸島に属する国立公園(一部鹿児島県も含む)。雲仙地区は1934(昭和9)年3月16日に「雲仙国立公園」として、瀬戸内海国立公園、霧島国立公園(現・霧島錦江湾国立公園)とともに日本で最初の国立公園に指定された。天草地区は1956(昭和31)年7月20日に編入され、現在の「雲仙天草国立公園」と改称された。陸域面積は283.35km2。
*ホルンフェルス:既存の岩石が変成作用を受けてできた岩石(変成岩)の一種。熱による変成(接触変成作用)によって生じる接触変成岩。
*頼山陽:1781(安永9)~1832(天保3)年。江戸時代後期の歴史家・思想家・漢詩人・文人。大坂生まれ。幼名は久太郎、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた。
*泊天草洋:頼山陽 作
雲耶山耶呉耶越/水天髣髴青一髪/萬里泊舟天草洋/烟横篷窗日漸没/瞥見大魚波間跳/太白當船明似月
(意味)海上に遠く見えるのは、雲だろうか、山だろうか、それとも呉の国だろうか、越の国だろうか。海と空とが接するあたりに、かすかに髪の毛一筋ほどの青いものがぼんやりと見える。万里のかなたに広がるこの天草の洋に舟を泊めているが、夕もやが舟の窓のあたりにたなびいて、太陽はしだいに西の海に沈んで行く。そして、一瞬、大魚の波間にはねる姿がちらりと見えた。空を見上げると、宵の明星が舟の正面に明るく輝いて、月よりも明るかった。
関連リンク | 環境省九州地方環境事務所(WEBサイト) |
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参考文献 |
環境省九州地方環境事務所(WEBサイト) 文化遺産オンライン(WEBサイト) 天草市観光文化部文化課(WEBサイト) 天草自然資源活用推進連絡会(WEBサイト) 公益社団法人関西吟詩文化協会(WEBサイト) |
2024年11月現在
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