旧野首教会
小値賀港から野崎島まで町営渡船で25分ほど。野崎港で下船し徒歩20分。教会は島の中心部にある。
野崎島は五島列島の北に位置し、小値賀島とともに北松浦郡になる。もともとは、海上交通の守り神として崇められる沖ノ神嶋神社の神官と氏子しか住んでいない島だった。その後、外海地域からの潜伏キリシタンが移住の適地として選び、神社の氏子を装って、ひそかに共同体を築き上げ、野首と舟森の2つのキリシタン集落が形成された。
信徒は迫害を受けながら、1881(明治14)年に舟森、翌1882(明治15)年に野首に、それぞれ教会を建てた。その後、1908(明治41)年に、野首の信徒が寝食を削って資金を集め、鉄川与助*設計の現教会を建てた。
野崎島は五島列島の北に位置し、小値賀島とともに北松浦郡になる。もともとは、海上交通の守り神として崇められる沖ノ神嶋神社の神官と氏子しか住んでいない島だった。その後、外海地域からの潜伏キリシタンが移住の適地として選び、神社の氏子を装って、ひそかに共同体を築き上げ、野首と舟森の2つのキリシタン集落が形成された。
信徒は迫害を受けながら、1881(明治14)年に舟森、翌1882(明治15)年に野首に、それぞれ教会を建てた。その後、1908(明治41)年に、野首の信徒が寝食を削って資金を集め、鉄川与助*設計の現教会を建てた。
みどころ
教会建築の名工として知られる鉄川与助による初めての煉瓦造り教会。鐘塔は持たないが、正面全面を玄関部とし、正面の柱頭の頂部には、城壁の物見櫓のような装飾物、正面両脇の頂部にも百合の紋章に似た装飾物があり、中世ヨーロッパの建築を思わせる。
旧野首教会のあと、鉄川の2作目は、新上五島町にある青砂ケ浦教会である。野首教会と青砂ケ浦教会の間には、鉄川の格段の技術の向上がみてとれるので、ぜひ青砂ケ浦教会にも訪れてほしい。
野首や舟森の集落跡を訪ねれば、未開であった荒地を開墾していった屋敷や耕作地が残っており、彼らの生活を知ることが出来る。先人たちの営みに代わって、鹿が草を食むのどかな風景も見られる。
旧野首教会のあと、鉄川の2作目は、新上五島町にある青砂ケ浦教会である。野首教会と青砂ケ浦教会の間には、鉄川の格段の技術の向上がみてとれるので、ぜひ青砂ケ浦教会にも訪れてほしい。
野首や舟森の集落跡を訪ねれば、未開であった荒地を開墾していった屋敷や耕作地が残っており、彼らの生活を知ることが出来る。先人たちの営みに代わって、鹿が草を食むのどかな風景も見られる。
補足情報
*鉄川与助:1879年~1976年。長崎県南松浦郡魚目村(現 新上五島町)に生まれる。ド・ロ神父に教会建築の指導を受け、後に独自に数多くの教会堂の建築に携わった。30余りの天主堂を設計し、そのうちのいくつかは国の重要文化財に指定されている。
*旧野首教会は、2025年11月までの予定で大規模保存修理工事中である。
*旧野首教会は、2025年11月までの予定で大規模保存修理工事中である。
関連リンク | 小値賀町役場(WEBサイト) |
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参考文献 |
小値賀町役場(WEBサイト) 「ながさき巡礼」長崎文献社 「長崎の世界遺産めぐり」長崎県観光連盟 「長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド」長崎文献社 |
2024年10月現在
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