江上天主堂えがみてんしゅどう

五島列島の中部、五島市の奈留島の西部、奈留瀬戸を望む江上地区にある。福江港から海上タクシーで30分、奈留港からタクシーで20分。廃校になった小学校の脇の緑の中にあり、海から直接見えない位置に建っている。1881(明治14)年、長崎外海地区から移住した4家族に始まった。移住した江上地区は人里離れた谷間であり、彼らはわずかな平地を開墾して水田を作り、斜面を開いて集落を形成した。解禁後はカトリックに復帰し、1906(明治39)年に、最初の教会ができる。さらに50戸あまりの信徒がキビナゴ漁により蓄えた資金を元手に、1918(大正7)年に現在の江上天主堂が建てられた。設計・施工は多くの教会堂建築を手がけ、教会堂建築の父と呼ばれる鉄川与助*で、彼の手がけた木造教会堂建築でも最高峰とされる。湿気対策のために高床式とし、軒裏には花の形をした通気口がある。国の重要文化財の指定を受けている。
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みどころ

建物は、木造・瓦葺の建物で、軒天井飾りなどの細かい装飾が施され、正面は、重層屋根をそのまま切妻にして、屋根の妻面を「への字」型に仕上げるなど変化に富んでいる。内部は漆喰仕上げのリブ・ヴォールト天井や、疑似トリフォリウムがあり、全体の造作が美しい。森の中にちょこんと佇む、パステルカラーの非常に可愛らしい教会堂。クリーム色に窓枠の水色がアクセントになり、甘く優しい雰囲気に包まれている。長崎県下の木造建築のうち、最も完成された教会として評価されている。
 柱の木目や窓ガラスの花模様は、信徒が手作業で描いたもの。木造建築でありながら、建設から100年を経てもなお現役で使われており、この教会堂を大切にする信徒たちの強い思いが感じられる。
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補足情報

*鉄川与助:1879-1976。長崎県南松浦郡魚目村(現 新上五島町)に生まれる。ド・ロ神父に教会建築の指導を受け、後に独自に数多くの教会堂の建築に携わった。30余りの天主堂を設計し、そのうちのいくつかは国の重要文化財に指定されている。