旧五輪教会堂きゅうごりんきょうかいどう

五島列島の南部、五島市の久賀島(ひさかじま)五輪集落にある。定期船の港、田ノ浦から車で40分、あるいは福江からの海上タクシーになる。
 久賀島では、潜伏キリシタンは仏教徒と協力して農漁業等を営み、互助関係を結んでいた。
 1865年の「信徒発見」後、潜伏キリシタンたちは未だ禁教令が続いているにも関わらず信仰を表明したため、「五島崩れ」と呼ばれる大規模な弾圧が起こった。最も迫害が激しかったのが久賀島で、牢屋の窄(ろうやのさこ)事件*では多くの死者を出した。
 解禁後の1881(明治14)年、浜脇集落に久賀島初の教会堂が建てられた。その初代浜脇教会が1931(昭和6)年の再建時に五輪地区に移築され、五輪教会堂として使用された。長崎県下の木造教会としては、現役の1882(明治15)年建造の江袋教会よりも古く、大浦天主堂についで古い。1999(平成11)年に、国の重要文化財の指定を受けた。1985(昭和60)年、隣に新聖堂が建てられ、これまでの五輪教会は教会としての役目を終え、文化財として管理されている。
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みどころ

建物は木造で瓦屋根の平屋建て。外観は和風建築だが、一歩内部に足を踏み入れると、三廊式の板張りリブ・ヴォールト天井、内壁は、上は漆喰壁、下は縦板張りになっていて、厳粛な聖なる空間が広がっている。初期の教会建築を伝える貴重なものとされる。
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補足情報

*牢屋の窄(ろうやのさこ)事件:6坪ほどの牢屋に約200名のキリシタンが収容され、棄教をせまられた。拷問は約8か月に及び、42名もの死者を出した。跡地には牢屋の窄殉教記念教会堂が建てられている。内部は、当時の牢屋の広さがじゅうたんの色で示されている。
*歌手五輪真弓の父親は、この教会のある五輪集落で暮らしたことがある。