頭ヶ島天主堂かしらがしまてんしゅどう

五島列島の北部に位置する、新上五島町の頭ヶ島にある。橋でつながる中通島のフェリー発着の有川港から車で20分。上五島空港は現在定期便は運休中。
 幕末まで、病人の療養地として利用され、人が近づきにくく、無人島だった頭ケ島に、仏教徒の開拓指導者の呼びかけのもと、迫害を逃れて鯛ノ浦のキリシタンが移り住んだ。信徒発見後、上五島でキリシタンの指導的立場にあったドミンゴ松次郎が、大浦天主堂から神父を呼び布教活動をするために移り住んだ。松次郎が自宅に開いた伝道師養成所は、五島の各地から信徒が教理の勉強に訪れていた。しかし、この島にも迫害が迫り、住民は島を脱出し、禁教令が解かれて後、再び島に戻った。1887(明治20)年、松次郎の屋敷跡に木造の聖堂が建てられた。その後、大崎八重神父が、設計・施工を鉄川与助*に依頼し、1910(明治43)年ころ、石造の聖堂の建設に着手するが、資金難で工事は中断、1919(大正8)年に現在の聖堂が完成。付近から切り出された砂岩が用いられており、天井は船底のような折り上げ天井になっている。
#

みどころ

煉瓦ではなく珍しい石造の天主堂。聖堂は列柱を持たないことから、広さを確保している。直線的で深い切り込みを持つ石積みは力強く重厚でありながらも、黄色味がかった砂岩ならではの独特の風合いも感じられる。
 「花の御堂」という愛称の通り、内部は花をモチーフにしたデザインにあふれ、とても華やか。この天主堂は、信者たち自らが石を運び、長い時間をかけながらも建設した。信仰の自由を得た喜びが、この華やかさに表れているようだ。
 天主堂の近くにはカトリックの共同墓地(立ち入り禁止)や、白砂の砂浜がある。砂浜の向こうには、天主堂建設に用いられた石切り場が残るロクロ島がある。
#

補足情報

*鉄川与助:1879-1976。長崎県南松浦郡魚目村(現 新上五島町)に生まれる。ド・ロ神父に教会建築の指導を受け、後に独自に数多くの教会堂の建築に携わった。30余りの天主堂を設計し、そのうちのいくつかは国の重要文化財に指定されている。