神浦の町並みこうのうらのまちなみ

平戸港から約15km北にある的山大島(あづちおおしま)の神浦地区にある港町。江戸中期から昭和初期の町家が連続して建ち並ぶ。
 江戸時代、平戸藩の招きにより井元(いのもと)氏が大島政務役として大島に入り、1661(寛文元)年、三代政務役の井元義信が藩主の命令で神浦を捕鯨基地とした捕鯨業を開始した。この捕鯨業は成功を収め、オランダ商館の出島移転後、オランダ貿易の利益を失っていた平戸藩財政を大いに潤した。井元氏鯨組は1726(享保11)年頃に廃業したが、その後も神浦は、水産加工業や、船問屋、旅館、大工、製造業などの商工業を基盤とし、離島の港町として発展した。
 捕鯨業開始間もない時期に浜側を埋め立てて敷地を造成し、組網工場等の捕鯨関連施設が作られた。鯨組廃業後、これら施設の跡地などにも町家が建てられ、現在の町並みの骨格となった。通りの山側は旧来の敷地で奥行きが浅いのに対し、埋め立てでできた海側の敷地は奥行きが深く、母屋・中庭・離れを持つ。町家には様々な職種や日本各地の地名に関係する屋号が残されており、港町のにぎわいを今に伝えている。この他、鯨見物の藩主をもてなした茶屋跡や井戸などがある。
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みどころ

車1台ほどの通りに面して、2階建ての木造の家がぴっちりと並んでいる。まさにヒューマンスケールでつくられた、人間味のある町並みだ。湾沿いに伸びる通りはゆるやかにカーブしていて、家並みの連続した美しさを引き立てる。
 江戸時代前期に遡るこの町並みは、その後も歴史を重ねる中で少しづつ形を変えてきた。古い町並みでも撮影セットのような人工的なよそよそしさを感じないのは、暮らしの移り変わりが自然に刻まれているからだろうか。
 天降神社や西福寺横の高台から見下ろすと、弓なりに連なる町の全景がよく分かる。