弥谷寺
古来より霊山として信仰された弥谷山(382m)の中腹、標高200mにある四国霊場八十八ケ所第71番札所。仁王門から最上部の本堂までは、540段*の石段を上る。
今からおよそ1300年前、聖武天皇の勅願により、行基が堂宇を建立し、光明皇后の経典を奉納したのが始まりとされ、山頂から八州が見渡せることから八国寺と命名された。弘法大師が幼年時代にこの寺の岩窟で修行を積み、唐から帰国後、再びここで護摩を修し、唐で恵果阿闍梨より授かった金銅の五鈷鈴*を納め、弥谷寺と改めたと伝わる。
仁王門から賽ノ河原と呼ばれる木々が鬱蒼とした参道を進み、法雲橋を渡ると、元禄年間に建立された高さ6mの金剛拳菩薩*が出迎える。そこから煩悩を意味する108段の階段を上ると、岩壁に埋め込まれるように建てられた大師堂がある。堂の奥には獅子が口を開いたような形をした岩窟があり、弘法大師が幼年時代に修行を積んだ所とされている。本堂はさらに上にあり、途中に水場の洞窟や麿崖仏がある。
今からおよそ1300年前、聖武天皇の勅願により、行基が堂宇を建立し、光明皇后の経典を奉納したのが始まりとされ、山頂から八州が見渡せることから八国寺と命名された。弘法大師が幼年時代にこの寺の岩窟で修行を積み、唐から帰国後、再びここで護摩を修し、唐で恵果阿闍梨より授かった金銅の五鈷鈴*を納め、弥谷寺と改めたと伝わる。
仁王門から賽ノ河原と呼ばれる木々が鬱蒼とした参道を進み、法雲橋を渡ると、元禄年間に建立された高さ6mの金剛拳菩薩*が出迎える。そこから煩悩を意味する108段の階段を上ると、岩壁に埋め込まれるように建てられた大師堂がある。堂の奥には獅子が口を開いたような形をした岩窟があり、弘法大師が幼年時代に修行を積んだ所とされている。本堂はさらに上にあり、途中に水場の洞窟や麿崖仏がある。
みどころ
本堂まで相当数の石段を上ることにはなるが、道中に見どころがあり、ゆっくり行けばそれほど気にならない。岩壁を背にした大師堂はそれ自体が洞窟の入口のようで、ほの暗い堂の内部は荘厳な雰囲気を醸し出してしている。奥にある獅子之岩屋では丸窓から外の光を取り込み、大師とその父母の像を10体ほどの摩崖仏が囲んでいる。首より上の病に御利益があるといわれる洞(ほら)地蔵尊は大師堂の背後の斜面の約10m上方にあり、大師堂内から座って上方を見上げて拝む。
弥谷山は古来より霊山として信仰されたといわれ、修行僧により刻まれた磨崖仏や修行の洞窟が今も山内に見られる。水場の洞窟の先に仏神の住む世界(弥山)があるといわれ、真言の書かれた経木を洗い清め、本地仏の地蔵尊に供えて願掛けする「お水まつり」が行われている。大きな岩から水が滴り落ちており、神秘的。地元には、先祖をできるだけ弥山に近い場所で供養をしたいという思いから、故人の霊をこの山に伴う「イヤダニマイリ」の習俗が伝わるという。(勝田 真由美)
弥谷山は古来より霊山として信仰されたといわれ、修行僧により刻まれた磨崖仏や修行の洞窟が今も山内に見られる。水場の洞窟の先に仏神の住む世界(弥山)があるといわれ、真言の書かれた経木を洗い清め、本地仏の地蔵尊に供えて願掛けする「お水まつり」が行われている。大きな岩から水が滴り落ちており、神秘的。地元には、先祖をできるだけ弥山に近い場所で供養をしたいという思いから、故人の霊をこの山に伴う「イヤダニマイリ」の習俗が伝わるという。(勝田 真由美)
補足情報
*270段目まで車で通行できる。(裏参道有料道・通行駐車料500円)
*五鈷鈴:弘法大師の唐からの請来品と伝えられる。断面は八弁の花形をしており、各面に四天王と三錮杵を交互においている。
*金剛拳菩薩:煩悩による苦しみから解放するといわれる。十六大菩薩の最後の一尊にあたり、如来になる直前の姿で成就を意味する。
*五鈷鈴:弘法大師の唐からの請来品と伝えられる。断面は八弁の花形をしており、各面に四天王と三錮杵を交互においている。
*金剛拳菩薩:煩悩による苦しみから解放するといわれる。十六大菩薩の最後の一尊にあたり、如来になる直前の姿で成就を意味する。
関連リンク | 弥谷寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
弥谷寺(WEBサイト) 剣五山 千手院 弥谷寺(WEBサイト) 三豊市(三豊市役所)(WEBサイト) |
2022年11月現在
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