明王院みょうおういん

JR福山駅から南西に約3km、芦田川の西岸にあり、眼下に草戸千軒町遺跡*を見渡す真言宗大覚寺派の古刹。もとは常福寺といい、創建は807(大同2)年、弘法大師(空海)の開基と伝えられるが、現在の形を整えたのは鎌倉末期である。江戸時代、水野勝成*が福山藩主として入府してからは、祈願寺として、その庇護を受けて栄えた。
 境内には国宝の本堂と五重塔が並び立つ。本堂は1321(元応3)年の建立、折衷様*の建物として瀬戸内海地域最古級とされる。鮮やかな朱塗の五重塔は1348(貞和4)年建立で、日本で5番目に古いといわれる。この塔は地元の住民たちが一文ずつお金を出し合って建てたもので、民衆による建立物としては日本一の古さとも言われる。
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みどころ

朱色の優美な姿の五重塔は、弥勒菩薩との結縁を望む人々がわずかばかりの寄付を積み重ねて建築されたもの。直接見ることはできないが、伏鉢にその内容が刻まれている。五重塔が建てられたのは、鎌倉幕府が滅亡し、南北朝の動乱が続いている時期であり、そのような社会不安から、門前町であったと言われる草戸千軒の人々を始めとする地域住民は弥勒菩薩に救いを求めたのであろう。草戸千軒町遺跡は河道掘削工事により遺跡自体は形をなしていないが、法音寺橋の上から、遺跡があった中州と明王院を眺めることができるので、あわせて訪れて往時に思いを馳せたい。
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補足情報

*草戸千軒町遺跡:大正時代に川底から発見された中世の港町・市場町。明王院と草戸稲荷神社の門前町としても繁栄していたものとみられている。
*水野勝成:安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。福山藩初代藩主。徳川家康の従兄弟にあたり、「鬼日向」の異名を持つ猛将。
*折衷様:和様建築をもとに、大仏様の豪快な構造美と、禅宗様(唐様)の装飾美を加えて折衷したもの。