名草神社なぐさじんじゃ

JR山陰本線八鹿駅から西へ約16km、標高1142mの妙見山(みょうけんざん)中腹に鎮座し、927(延長5)年に撰進された延喜に式内社として記載がある古社。創建は社伝では、585(敏達天皇14)年に養父郡の郡司が紀州名草の出身で、自らの祖神であった名草彦など七座の神を石原山(妙見山)に祀ったのが始まりとしているが、定かではない。ただ、この山は古くから何らかの霊験所だったと考えられ、仏教伝来とともに神仏習合し、中世に入ると「但馬妙見」と称して妙見信仰*1の山陰地方における中心地となった。但馬の守護であった山名氏の崇敬も受け、全盛期を迎えたと考えられている。
 現在は、杉におおわれた境内の一角に、1527(大永7)年建立という三重塔*2があり、さらに1754(宝暦4)年に御師たちの勧進により造営された拝殿*3と本殿*4が遺されている。拝殿は石垣の上へ建ち、中央を石段と土間が抜けている割拝殿形式という特異な構造となっている。その奥の本殿は、千鳥破風・軒唐破風付きの入母屋造という大型社殿で、彫刻などに工夫が凝らされている。
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みどころ

ここでのみどころは、まさに山岳信仰の霊域と思われるところに建つ社殿だ。森厳とした杉木立のなかに朱塗りの三重塔が鮮やかで見応えがあるが、三層目の軒下角の木鼻部分にある4匹の猿の彫り物にも注目したい。見ざる、言わざる、聞かざるという三猿が一般的だが、ここではもう1匹、頬に手をやったサルが居るのも面白い。三重塔の脇には樹齢1500年という「妙見の大杉」があったが、平成3年の台風で倒木し、現在は保存のための小屋に根株だけが遺されている。
 拝殿は、石垣の上に建ち、楼門型の割拝殿形式で、石垣を登り、土間を通り抜けることができる珍しいもの。それだけに蟇股などの凝った彫り物をじっくり見ることができる。本殿に進むと向背付近に数多くの彫り物が配され、なかには口や耳を手で押さえたりするユーモラスな表情を見せる獅子がいて、見るものをあきさせない。
 ただ、この神社に辿り着くには、車の離合集散に苦労するような長い山道を通らなければならないので、運転には慎重を期する必要がある。
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補足情報

*1 妙見信仰:北極星を神格化した菩薩。道教から仏教に取り入れられ、本地仏については十一面観音など諸説がある。国土を守り、災厄を除くとされ、日本では眼病に霊験があるともされる。日本では中世以降、密教系の天台宗あるいは日蓮宗でも妙見信仰がひろまった。山名氏、千葉氏、大内氏など武家でも崇敬された。
*2 三重塔:3間四方で3層、柿葺(こけらぶき)。1665(寛文5)年に出雲大社の造替の際、神木の妙見杉を提供したため、出雲大社よりお礼として移築されたもの。もともとは1527(大永7)年に出雲を本拠とした大名尼子氏によって出雲大社の境内に建立されたものである。軒桁を支える斗栱、蟇股、反り曲がった欄干の勾欄(こうらん)など、細部にわたって彫刻が施されている。
*3 拝殿:桁行5間(11.7m)、梁間2間(5.2m)、懸造・入母屋造、杮葺。
*4 本殿:桁行9間(17.6m)、梁間5間(9m)、向拝3間(6.5m)、杮葺。