明石焼(玉子焼)
明石焼は、小麦粉とじん粉と呼ばれる小麦でんぷん、鶏卵、だし汁を混ぜ合わせて作った生地を丸く窪みの付いた銅鍋に流し込み、タコを加えて丸く焼き上げる明石の郷土料理である。見た目は大阪のたこ焼きと似ているが、明石焼(玉子焼)は鶏卵を多く使い小麦粉が少ないことにより、色合いが黄色く、ふんわりと柔らかな食感が特徴である。
食べ方も、たこ焼きが濃いソースを付け、海苔・鰹節等をトッピングするのに対して、明石焼(玉子焼)は、別途用意した温かい(または冷たい)だし汁に浸して食する。このだし汁は鰹や昆布出汁であるので、たこ焼きと異なった味わいとなっている。但し、ソースを付けてからだし汁に入れる食べ方や、三つ葉・ネギ・生姜等の薬味を用意している店舗もある。
地元では「玉子焼」と呼ばれているが、1988(昭和63)年頃、市の職員が明石のまちのPRとなるように「明石焼」と名付けたところ、現在では「明石焼」が全国的に普及している。
小麦粉を溶いて具材を入れて焼く料理は江戸時代から各地で様々な名称で存在しており、いずれも縁日の露店などで子供のおやつとして始まった軽食、ファーストフードである。明石焼(玉子焼)の店舗もこれ一品だけを手軽に注文できて、テイクアウトもできる小規模な店舗が多い。店舗は市内で約70軒と言われ、明石の台所として著名な魚の棚商店街(うおんたな)に多い。
食べ方も、たこ焼きが濃いソースを付け、海苔・鰹節等をトッピングするのに対して、明石焼(玉子焼)は、別途用意した温かい(または冷たい)だし汁に浸して食する。このだし汁は鰹や昆布出汁であるので、たこ焼きと異なった味わいとなっている。但し、ソースを付けてからだし汁に入れる食べ方や、三つ葉・ネギ・生姜等の薬味を用意している店舗もある。
地元では「玉子焼」と呼ばれているが、1988(昭和63)年頃、市の職員が明石のまちのPRとなるように「明石焼」と名付けたところ、現在では「明石焼」が全国的に普及している。
小麦粉を溶いて具材を入れて焼く料理は江戸時代から各地で様々な名称で存在しており、いずれも縁日の露店などで子供のおやつとして始まった軽食、ファーストフードである。明石焼(玉子焼)の店舗もこれ一品だけを手軽に注文できて、テイクアウトもできる小規模な店舗が多い。店舗は市内で約70軒と言われ、明石の台所として著名な魚の棚商店街(うおんたな)に多い。

みどころ
鶏卵*を主体に使うこと、じん粉は加熱しても堅くならないこと、さらに焦げ目が出るほど強く焼かないことで、ふっくらと柔らかい生地のままで焼き上がり、そのなかに歯ごたえのあるタコの対比が独特の食感となる。
また、ソースは付けずにだし汁に浸して食べるので上品な味わいとなる。柔らかいのでたこ焼きのように楊子で刺すのではなく箸で食べる。具材は基本タコのみであるが地元特産の焼穴子もバリエーションとしてある。
一つの銅鍋に10~20個の窪みがあり、それが1人前として提供されるので、ちょっとした軽食のボリュームである。屋台店舗のように調理場が見えるところが多いので、調理過程を見るだけでも面白い。銅鍋の窪みに生地を流し込み、箸で軽くかき混ぜつつふっくらとなった時点で火から上げる。銅鍋の上にあげ板と呼ばれる下駄のついた板を乗せ素早くひっくり返す。この動作が明石焼のパフォーマンスである。この明石焼が10~20個並んだあげ板がそのままテーブルに供される仕組みである。
市内の明石焼店では明石焼だけを提供する店もあるが、お好み焼きや焼きそばなどを提供している店もある。料亭・居酒屋のような本格的な料理店や飲み屋ではないので、夜は比較的早い時間帯に閉店となる店も多いことに留意が必要である。
また、ソースは付けずにだし汁に浸して食べるので上品な味わいとなる。柔らかいのでたこ焼きのように楊子で刺すのではなく箸で食べる。具材は基本タコのみであるが地元特産の焼穴子もバリエーションとしてある。
一つの銅鍋に10~20個の窪みがあり、それが1人前として提供されるので、ちょっとした軽食のボリュームである。屋台店舗のように調理場が見えるところが多いので、調理過程を見るだけでも面白い。銅鍋の窪みに生地を流し込み、箸で軽くかき混ぜつつふっくらとなった時点で火から上げる。銅鍋の上にあげ板と呼ばれる下駄のついた板を乗せ素早くひっくり返す。この動作が明石焼のパフォーマンスである。この明石焼が10~20個並んだあげ板がそのままテーブルに供される仕組みである。
市内の明石焼店では明石焼だけを提供する店もあるが、お好み焼きや焼きそばなどを提供している店もある。料亭・居酒屋のような本格的な料理店や飲み屋ではないので、夜は比較的早い時間帯に閉店となる店も多いことに留意が必要である。

補足情報
*明石焼とたこ焼きの関係:明治から大正時代に明石では玉子焼の屋台が普及し、大正時代末期に大阪ではラジオ焼きと呼ばれるものが誕生したといわれている。このラジオ焼きの具材を試行していた大阪の会津屋で、1935(昭和10)年に「明石ではタコが入っている」と顧客からの一言をヒントにタコ・鶏卵を入れるようになり、たこ焼きと名付けたのがたこ焼きの元祖である。
一方、明石では戦後に玉子焼を冷たいだし汁に浸して食べる食べ方が登場し、やがて温かいだし汁が主流となった。1988(昭和63)年頃、市の職員が明石のまちのPRになるように「明石焼」と名付けたところ、各地にその名前で広まっていった。
*明石焼だけが鶏卵主体のつなぎとなった理由:明石焼に鶏卵を多く使うのは、もともと江戸末期から明治・大正時代の明石の特産品に明石玉(模造珊瑚の一種)があったためと言われている。明石玉の製作過程で卵白を大量に使ったため、余った黄身を活用して明石焼を作ったという理由である。しかし現在では明石玉は作っておらず、明石焼は全卵を使っている。(神戸新聞NEXTサイト、その他による。)
一方、明石では戦後に玉子焼を冷たいだし汁に浸して食べる食べ方が登場し、やがて温かいだし汁が主流となった。1988(昭和63)年頃、市の職員が明石のまちのPRになるように「明石焼」と名付けたところ、各地にその名前で広まっていった。
*明石焼だけが鶏卵主体のつなぎとなった理由:明石焼に鶏卵を多く使うのは、もともと江戸末期から明治・大正時代の明石の特産品に明石玉(模造珊瑚の一種)があったためと言われている。明石玉の製作過程で卵白を大量に使ったため、余った黄身を活用して明石焼を作ったという理由である。しかし現在では明石玉は作っておらず、明石焼は全卵を使っている。(神戸新聞NEXTサイト、その他による。)
関連リンク | 一般社団法人明石観光協会(WEBサイト) |
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参考文献 |
一般社団法人明石観光協会(WEBサイト) 「明石焼/玉子焼」うちの郷土料理(農林水産省)(WEBサイト) たこ家道頓堀くくる(白ハト食品工業株式会社)(WEBサイト) 明石市(WEBサイト) |
2025年03月現在
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