相生ペーロン祭あいおいぺーろんまつり

毎年、5月最終日曜日に相生湾で開催される。一般男子・一般女子に分かれ、中国の竜を象った船に、32名(艇長1名・漕手28名・銅鑼1 名・太鼓1名・舵取り1名)が乗り、太鼓や銅鑼を鳴らして男女合わせ20数チームが4艇ずつ、片道300mを往復600mで競漕する(男子決勝戦・順位決定戦は900m)。これとは別にオープンペーロン競漕もあって、30数チームがやはり4艇ずつで競い合う。友好都市の交流チームも参加する。ペーロン艇は全長約13mの木造の和船で、現在相生ペーロン海館*で保管されている「海龍・輝龍・蒼龍・瑞竜・天龍・白龍・神龍・昇龍・飛龍・雲龍・蛟龍・青龍」のうち8艇を使用して競漕する。
 この祭の始まりは、1922(大正11)年に播磨造船所(現・IHI相生事業所)の長崎出身の従業員たちが故郷を偲び、長崎の伝統行事のペーロン大会を会社に提案し、それが企業内の海上運動会となったことに始まる。現在では相生市を挙げての市民行事となっている。
 前夜祭として海上花火大会もある。
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みどころ

ペーロン競漕は企業内の行事から始まったが、現在では市民を挙げての祭になっており、普段から、一般参加、オープン参加の60ほどのチームは祭当日のペーロン競漕に鍛錬を欠かさない。それだけに4艇のペーロン艇の戦いは迫力があり、乗船している太鼓、銅鑼の音・リズムや掛け声と観覧席からの大きな声援で大いに盛り上がる。
 また、前日の土曜夜には「前夜祭花火大会」が催され、約5000発の花火が相生湾の空を飾る。当日は、まちのメインストリートで「陸上パレード」が繰り広げられ、吹奏楽やダンスなどのパフォーマンスで、ペーロン祭を陸上からも盛り上げる。
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補足情報

*ペーロン:伝承では西暦紀元前300年頃、中国の戦国時代楚の名宰相といわれた屈原は讒言により蟄居したが、楚は秦に敗れ、楚の国運に慷慨した屈原は汨羅江(べきらこう)へ入水した。民はその霊を慰めるために粽(ちまき)を作り、龍船(白龍)を浮べて競漕したという。ペーロンは「白龍」の中国読みのパイロンがなまったものという。
 日本へは1655(明暦元)年に長崎来航した中国船が暴風雨に遭遇し多くの犠牲者を出したため、その鎮魂と海の神様を鎮める儀式として長崎湾でペーロン競漕を行ったことから伝わったとされている。
*相生ペーロン海館:JR相生駅から南へ約2.4kmの相生湾に面したところにある。ペーロン艇の保管庫となっており、ペーロン艇を見学できるほか、4~10月には学校団体やグループへのペーロン体験乗船を実施している(入館無料、体験乗船は予約が必要で有料)。
関連リンク 相生市(WEBサイト)
参考文献 相生市(WEBサイト)
相生ペーロン祭協賛会(WEBサイト)
鈴木商店記念館(WEBサイト)
相生ペーロン海館の案内書(PDF)及び展示資料
「百科事典マイペディア 屈原」平凡社

2025年03月現在

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