西宮神社の十日えびす
西宮は江戸時代から酒の醸造が盛んで江戸への「下り酒」の積み出し港としても栄え、その繁盛のシンボルとして西宮神社*1は、「えべっさんの総本社」と親しまれてきた。今も、福の神、商売の神として多くの参拝客がつめかける。阪神西宮駅の南西、国道43号に面して広がる広大な社域。境内を巡る本瓦葺の大練塀*2は室町時代の遺構である。堅牢な造りの練塀で、豊臣秀頼再建の表大門とともに国指定の重要文化財となっている。表大門から「くの字」に屈曲した参道の先に1961(昭和36)年再建の拝殿と三連春日造の本殿が建つ。令和7(2025)年2月に西宮神社本殿と拝殿は国の登録有形文化財になった。
同社の年中行事でもっとも有名なのが、例年1月9~11日に催される「十日えびす」である。十日えびすは、祭り前日1月8日の「招福大まぐろの奉納」から始まり、9日の「宵えびす」では有馬温泉の湯の「献湯式」、「宵宮祭」の神事が行われ、神門が閉ざされ「忌籠り」に入る。10日の早朝「十日えびす大祭」の神事が斎行され、午前6時に表大門が開き、「開門神事福男選び」が行われる。この開門と同時に外で待っていた参拝者が「一番福」を得ようと230m先の本殿に向い「走り参り」をする。これを「開門神事」といい、江戸期から行われるようになったという。本殿への到着順に1番から3番までがその年の「福男」として認定される。11日は「残り福」とされ、参拝者の列が長く続く。
同社の年中行事でもっとも有名なのが、例年1月9~11日に催される「十日えびす」である。十日えびすは、祭り前日1月8日の「招福大まぐろの奉納」から始まり、9日の「宵えびす」では有馬温泉の湯の「献湯式」、「宵宮祭」の神事が行われ、神門が閉ざされ「忌籠り」に入る。10日の早朝「十日えびす大祭」の神事が斎行され、午前6時に表大門が開き、「開門神事福男選び」が行われる。この開門と同時に外で待っていた参拝者が「一番福」を得ようと230m先の本殿に向い「走り参り」をする。これを「開門神事」といい、江戸期から行われるようになったという。本殿への到着順に1番から3番までがその年の「福男」として認定される。11日は「残り福」とされ、参拝者の列が長く続く。

みどころ
この行事のクライマックスはなんといっても「開門神事福男選び」。表大門が開かれると参拝者が一斉に走り出し、参道が「くの字」に曲がっているので、転ぶ者、走り抜ける者など、その走りぶりは大迫力。一方、必死さのなかにも楽しんでいる様が伺えて微笑ましい。この時の様子は、正月の風物詩として毎年テレビなどのニュースで全国的に映像が流されるのが通例になっている。
この「開門神事」は「忌籠り神事」の忌が明けて、開門して氏子などが参詣を許されるようになったことから始まっているとされるので、古来より行われていたと考えられている。寛政年間(1789~1798年)編纂の地誌「摂津名所図会」でも「一夜禁足して、物静に神祭をつとむ。早鶏鳴の頃より、近隣の参詣あれば、社頭も賑わしくなりて、市中も門戸を開き、みなみな本社へ詣す」とし「群集する事稲麻(幾重にも取り囲んでいるさま)の如し」とその時のことが記されているが、「福男選び」については触れられていない。荒川裕紀によると、「新暦への改暦と、鉄道会社による祭礼の創出の過程*3で、偶発的に生まれた」としており、1937(昭和12)年に新聞記事として「はじめて一番福の個人名が掲載された年であり、開門から一番福を取るまでの競争の詳細が報道されている」と論述している。「福男選び」はおそらく大正から昭和初期に自然発生的に生まれ、行事化されていったといえよう。
この「開門神事」は「忌籠り神事」の忌が明けて、開門して氏子などが参詣を許されるようになったことから始まっているとされるので、古来より行われていたと考えられている。寛政年間(1789~1798年)編纂の地誌「摂津名所図会」でも「一夜禁足して、物静に神祭をつとむ。早鶏鳴の頃より、近隣の参詣あれば、社頭も賑わしくなりて、市中も門戸を開き、みなみな本社へ詣す」とし「群集する事稲麻(幾重にも取り囲んでいるさま)の如し」とその時のことが記されているが、「福男選び」については触れられていない。荒川裕紀によると、「新暦への改暦と、鉄道会社による祭礼の創出の過程*3で、偶発的に生まれた」としており、1937(昭和12)年に新聞記事として「はじめて一番福の個人名が掲載された年であり、開門から一番福を取るまでの競争の詳細が報道されている」と論述している。「福男選び」はおそらく大正から昭和初期に自然発生的に生まれ、行事化されていったといえよう。

補足情報
*1 西宮神社:同社の起源は詳しいことは分かっていないが、平安時代の「西宮」は現在地より、北方2.5kmほどのところにあり、「日本書紀」にも記載がある古社、「廣田神社」を含む広域の神社群を指したという。当時、同社の南宮といわれる別宮が海岸近くにあり、そのうちの摂社としてエビス神が祀られていたところを限定的に西宮と呼ぶようになり、現在の西宮神社の始原となったといわれている。その後、この地が西国街道の宿場町として繁華となり、このエビス神が商売繁盛の神様として信仰を集めるようになり、さらに酒造業の発展に伴い、現在の西宮神社「えべっさん」として崇敬が高まったとされる。現在も表大門を入って左には「廣田神社」の管轄の「南宮神社」が鎮座している。
なお、社伝には茅渟海(ちぬのうみ・大阪湾)の、神戸・和田岬の沖に出現した神像を、西宮・鳴尾の漁師が祀っていたが西の方への遷座の神託があり、現在地に遷したという伝承も遺されている。
*2 大練塀:室町中期(1393~1466年)の建造とされ、全長247mが国の重要文化財の指定を受けている。
*3 祭礼の創出の過程:荒川裕紀によると、新暦への移行と鉄道の開通が十日戎の神祭事に大きな影響を与えたとしている。明治に入り、改暦され、新暦が採用された。これに伴い十日えびすについても大阪市中などの都市部の戎社は新暦に移行したが、郊外の西宮神社は従来通り旧暦で行っていた。そこに1905(明治38)年に阪神電鉄が開通し、電鉄主体の都市部からの参詣者の誘致により、新暦の十日えびすにも「忌籠り」を行うようになった為、現在と同様宵宮の深夜閉門し祭りの当日朝6時に開門することとなった。その結果、阪神電車を利用した遠方からの参詣客が開門を待って表大門に集まるようになったという。これが「福男選び」行事のきっかけになったといわれている。こうした経過と新暦の定着により旧暦の十日えびすが衰退し、新暦にすべて移行したという。(参考文献:「十日戎開門神事の歴史的変遷」荒川裕紀 北九州工業高等専門学校研究報告 第43号 2010年1月 https://kitakyushu.repo.nii.ac.jp/records/201)
同祭りへの鉄道会社の役割について、平山昇は「阪神電車の大々的な乗客誘引によって都市部からの参詣客が大幅に増加していく状況を目の当たりにして、神社側も電鉄会社の強力な宣伝力を利用して都市部からの参詣客の増加を図るようになった。都市部からの参詣客が多数を占めるようになった西宮神社の参詣行事は、もはや昔のように神社とえびす信者たちだけで維持できるようなものではなく、電鉄会社との協調関係が不可欠」となったと、論考している。(参考文献:「明治・大正期の西宮神社十日戎」平山昇 国立歴史民俗博物館研究報告 第155集 2010年3月 https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/1791/files/kenkyuhokoku_155_08.pdf)
なお、社伝には茅渟海(ちぬのうみ・大阪湾)の、神戸・和田岬の沖に出現した神像を、西宮・鳴尾の漁師が祀っていたが西の方への遷座の神託があり、現在地に遷したという伝承も遺されている。
*2 大練塀:室町中期(1393~1466年)の建造とされ、全長247mが国の重要文化財の指定を受けている。
*3 祭礼の創出の過程:荒川裕紀によると、新暦への移行と鉄道の開通が十日戎の神祭事に大きな影響を与えたとしている。明治に入り、改暦され、新暦が採用された。これに伴い十日えびすについても大阪市中などの都市部の戎社は新暦に移行したが、郊外の西宮神社は従来通り旧暦で行っていた。そこに1905(明治38)年に阪神電鉄が開通し、電鉄主体の都市部からの参詣者の誘致により、新暦の十日えびすにも「忌籠り」を行うようになった為、現在と同様宵宮の深夜閉門し祭りの当日朝6時に開門することとなった。その結果、阪神電車を利用した遠方からの参詣客が開門を待って表大門に集まるようになったという。これが「福男選び」行事のきっかけになったといわれている。こうした経過と新暦の定着により旧暦の十日えびすが衰退し、新暦にすべて移行したという。(参考文献:「十日戎開門神事の歴史的変遷」荒川裕紀 北九州工業高等専門学校研究報告 第43号 2010年1月 https://kitakyushu.repo.nii.ac.jp/records/201)
同祭りへの鉄道会社の役割について、平山昇は「阪神電車の大々的な乗客誘引によって都市部からの参詣客が大幅に増加していく状況を目の当たりにして、神社側も電鉄会社の強力な宣伝力を利用して都市部からの参詣客の増加を図るようになった。都市部からの参詣客が多数を占めるようになった西宮神社の参詣行事は、もはや昔のように神社とえびす信者たちだけで維持できるようなものではなく、電鉄会社との協調関係が不可欠」となったと、論考している。(参考文献:「明治・大正期の西宮神社十日戎」平山昇 国立歴史民俗博物館研究報告 第155集 2010年3月 https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/1791/files/kenkyuhokoku_155_08.pdf)
関連リンク | えびす宮総本社 西宮神社(WEBサイト) |
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参考文献 |
えびす宮総本社 西宮神社(WEBサイト) 「西宮小史」西宮市(WEBサイト) 廣田神社(WEBサイト) 「西宮神社大練塀 南門の西」文化遺産オンライン(文化庁)(WEBサイト) 「西宮神社十日戎の福男はいかにして生まれたか」荒川裕紀 明石工業高等専門学校研究紀要61号 2019年 |
2025年03月現在
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