湊川神社みなとがわじんじゃ

JR神戸駅の北、阪急・阪神・山陽各線高速神戸駅の東改札から地上にでたところにある。この地はもともと楠木正成*が1336(延元元)年に足利尊氏・直義等の軍勢と戦い、敗れ、刺し交え、生涯を閉じた場所であったとされ、文禄年間(1592~1596年)の太閤検地の際、免祖地となった。1692(元禄5)年には徳川光圀によって正成の墓所*が建立され、その後尊皇の志士等から崇敬をうけていた。1868(明治元)年に至り明治天皇より神社創祀の沙汰が出され、1872(明治5)年に創建された。
 俗に「楠公さん」の名で親しまれ、菊水の紋瓦で葺いた神垣に囲まれる境内にはクスの木が多く、表神門を入った右手に徳川光圀の直筆の「嗚呼忠臣楠子之墓」を刻した墓碑、左手に「大楠公」(正成)にちなむ社宝を展示する宝物館、正面に権現造に似た鉄筋の社殿*が建っている。なお、社殿は1945(昭和20)年の神戸大空襲で焼失したため、1952(昭和27)年に復興新築されたもの。兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では参道途中にある大鳥居が崩壊したが再建されている。
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みどころ

広々とした多聞通りから表神門をくぐるとまっすぐに拝殿・社殿に参道が向い、周囲の都会的な雰囲気もあって、快闊な感じの境内である。
 表神門の右手脇には主祭神の楠木正成の墓所があるので、まず立ち寄りたい。社殿は鉄筋コンクリート造りだが、ここの天井画は有名画家たちの奉納作品で、参拝後に天井を鑑賞するのもよい。昇殿をしてじっくり見上げたいところだが、外からでも垣間見ることは可能だ。
 拝殿・本殿の左手奥には、楠木正成戦没地があり、注連縄の張られた門越しに森閑とした霊域の雰囲気が漂ってくる。刺し交えた場所には、現在も注連縄が張られている。
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補足情報

*楠木正成:生年不詳、没年1336(建武3/延元元)年。南北朝期の武将。河内国石川郡赤坂(現大阪府千早赤阪村)に居館があった。元弘の乱(1331~1333年)で、後醍醐天皇に応じて赤坂城に挙兵するが落城。翌年冬に再度挙兵し、幕府軍を悩まし続けた。これらの軍功により建武政権(後醍醐天皇の政権)下では河内国司、河内・和泉両国守護となった。記録所・恩賞方・雑訴決断所などの枢要機関にも参画。1336年(建武3・延元元)に関東から上洛した足利尊氏を一旦は九州に退けたが、足利尊氏・直義等の軍が再起を図り東上して来たところを湊川で迎い撃ったが敗れ、刺し交え、生涯を閉じた。「大楠公」と称され、子正行は「小楠公」と呼ばれている。
*正成の墓所:高さ約1m、幅30cm、厚さ31cmの神獣・贔屓の台石に乗った青い和泉石。
*社殿:拝殿の天井中央の大青竜は福田眉仙の作、その左4枚の板画および両側の獅子・狛犬は棟方志功の傑作、「降魔・伏邪」の賛は徳富蘇峰の筆になる。
関連リンク 湊川神社(WEBサイト)
参考文献 湊川神社(WEBサイト)
「山川 日本史小辞典 改訂新版」 楠木正成 山川出版社
「楠木正成墓碑」 国指定文化財等データベース(文化庁)(WEBサイト)

2025年03月現在

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