一乗寺いちじょうじ

神姫バス姫路駅より一乗寺経由社行で37分、一乗寺下車すぐ。北條鉄道法華口駅から約5km、法華山(標高243m)の山中の小盆地にある。境内は、木立が繁茂する法華山の南斜面が段状に造成され、そこに堂宇が建立されている。
 同寺の創建については、650(白雉元)年、インドの高僧法道仙人*1が中国、朝鮮を経て飛来し、山に囲まれた同地の地形が「八葉蓮華」の形状に似ていることから、ここに創建したという伝説が遺されている。法道仙人は「飛鉢伝説」*2など同地での伝承が多く、同仙人を開基として伝える寺院は兵庫県下には110ヶ寺ほどもあるといわれるものの、実在の人物ではないとされるため、同寺の創建についても詳しいことはわかっていない。
 ただ、創建地については、現在地より北へ約2.5km、白鳳時代(645~710年)に彫られたとみられる石仏などが遺る笠松山南麓古法華付近(現・古法華自然公園付近)だったのではないかとされ、古代から法燈が続いていたと考えられている。また、現在の境内にある三重塔(国宝)*3の相輪の伏鉢に『「承安元年」(1171年)』の建立を示す銘があることから、そのころまでには現在地に移転していたと推定されている。
 その後、1335(建武2)年に後醍醐天皇の勅願で大講堂(本堂)が再建され、寺勢は盛んになったものの、大永年間(1521~1528年)の兵火などで多くの堂宇が焼失した。現在、境内に残されている堂宇は、国の重要文化財に指定されている本堂(金堂・大講堂・大悲閣)*4をはじめ、江戸時代初期・中期のものが多いが、鎮守諸堂(護法堂・弁天堂・妙見堂)*5については鎌倉・室町時代のものとされており、こちらも国の重要文化財となっている。また、国宝の「聖徳太子及天台高僧像十幅」など寺宝を多数保有している。
 なお、山号は法華山で天台宗、西国第26番の札所でもある。入山は有料。
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みどころ

法道仙人がこの地を八葉蓮華の地形の霊域であるとして、創建地として選んだという伝説のとおり、下界から登ってくると鬱蒼とした木立に囲まれた小盆地に辿り着く。ここでの最大のみどころはやはり国宝の三重塔。まず、受付を通り、参道を進むと急な石段が3ヵ所続く。最初の石段を登ると左手に常行堂、ここで三重塔を見上げることになる。さらに2ヵ所の石段を登れば、間近に三重塔と向き合うことになる。ここで初層をじっくり観察しておきたい。さらに本堂に向かう石段では、高度を上げながら、2層目に視点を合わせれられる。そして最後に深い緑のなかにすっくと建つ三重塔を本堂の回廊から見渡すと良い。三重塔は全体としてはシンプルだが、軒が深くどっしり感のある造りで素朴さが感じられる。少し相輪が大柄でバランスを欠く感もあるが、山中の堂塔としてはそれが存在感を増して見せてくれる。三重塔の一段上にある本堂は堂としての規模は大きく、大屋根には反りがなく直線的で、おおらかさが出ている建造物だ。中に入ると、礼拝スペースが広く、開け放たれた大扉から、三重塔と周囲の山々の濃密な緑が迫ってくる。本堂の裏手には鎌倉から室町時代に造営された鎮守諸堂が点在しており、段状に造成された敷地であるがゆえ狭隘さは否めないが、気持ちの落ち着く空間となっている。なお、宝物館は、4月と11月の第1日曜日に公開されるが、通常は事前予約が必要で入館は有料。
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補足情報

*1 法道仙人:法道仙人が初見されたのは、鎌倉時代の仏教史書「元亨釈書」で、「法道仙人者天竺人也」とし、インドの仏教の聖地霊鷲山で修行を積んだ後、「紫雲」に乗って「経支那過百済入吾日域 下播州印南郡法華山 其山八朶為号也 于時渓谷出五色光道見為霊区」(中国を経て百済を過ぎ日本に入る。播州印南郡法華山に下る。その山は八葉蓮華の地形だったので山号とした。この時五色の光が出ている道を見て霊域とした)と紹介している。ただ、実在した人物ではなく、後代に由緒付けで創作されたと考えられている。これをもとに江戸時代の地誌などに記載され、広く知られるようになり、法道仙人開基説が一般化したいわれている。
*2 「飛鉢伝説」:「元亨釈書」にも記載があるが、14世紀中盤の仏教の教義、播州の地誌などの問答集「峰相記」では「仙人空鉢を南海に飛して供養を請く。在る時、宰府の船頭藤井麻呂正税と号して供養致さず、其の時船中の米俵一つも残らず、群雁の如く飛び来る。船人驚起す。忠一鉢を当山に留めて、餘りは船中へ還し遺す」(訓読:神栄赳郷)としている。これが孝徳天皇の知ることとなり、金堂(本堂)の建立と勅額を賜ることになったという伝説。
*3 三重塔:初層柱間一辺16尺(約4.8m)、二層12.3尺(約3.7m)、三層9.3尺(約2.8m)、本瓦葺、で各層の逓減率が高い。塔身の規模の割には相輪が大きいのが特徴。桝組は唐様三手先で整った形をしている。桝組は唐様三手先で整った形をしている。
*4 本堂(金堂・大講堂・大悲閣):創建時は金堂として孝徳天皇が建立したと伝えられ、その後、現在地で後醍醐天皇によって大講堂として再建された。現在のものは、1628(寛永5)年、姫路藩主本多忠政によって造営されたという。一名、大悲閣ともいう。懸造で九間堂(幅約16m)と、規模が大きい。また、外陣の柱が少なく、礼拝のスペースが大きいのも特徴。
*5 鎮守諸堂(護法堂・弁天堂・妙見堂):護法堂は鎌倉後期建立、一間社隅木入春日造、檜皮葺、毘沙門天を祀る。弁天堂は室町中期造営、一間社隅木入春日造、檜皮葺で弁財天を祀る。妙見堂は室町後期の建造、三間社流造、檜皮葺で妙見菩薩を祀る。三社とも孝謙天皇の勅願によると伝わる。三重塔・本堂へ登る石段の途中左手にある。