上之太子叡福寺かみのたいしえいふくじ

近鉄南大阪線上ノ太子駅から南へ約1.9km、同長野線喜志駅から東へ約3.2kmにある古刹で竹内街道*1の沿道にあたる。創建については定かではないが、寺伝によると聖徳太子が生前自ら墓所(廟所)*2をこの地に造り、その死後廟所を守護するため622(推古天皇30)年に一堂を構えたのが草創*3だという。724(神亀元)年聖武天皇が法隆寺を模して東西両院を造り、東を転法輪寺(てんぽうりんじ)、西を叡福寺と称したとも伝えられている。
 平安中期以降、太子信仰*4が盛んになり、大阪の四天王寺や奈良の法隆寺とともに叡福寺は聖徳太子の廟所の墓前寺として崇敬を集めた。竹内街道沿いで聖徳太子が建立したと伝えられる2寺、野中寺(やちゅうじ 羽曳野市)の「中之太子」と勝軍寺(八尾市)の「下之太子」に対し「上之太子」と呼ばれた。
 しかし、1574(天正2)年に織田信長の兵火により堂塔の全てを失った。17~18世紀に至り順次再建され、現在も遺されている堂宇は1603(慶長8)年に豊臣秀頼が寄進した聖霊殿*5をはじめ、1652(承応元)年造営の宝塔*6、1732(享保17)年造営の金堂などである。また、宝蔵*7には、「聖徳太子絵伝(一部)」、「高屋連枚人墓誌*8」、「太子御記文」などの寺宝を公開している。年中行事としては大乗会法要*9(4月11~12日)で知られる。
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みどころ

太子町の町並みの中に一段高く南大門が立ち白壁越しに宝塔が姿を見せる。境内に入ると正面に二天門、その奥に聖徳太子の御廟所の森が見え、左手に宝塔・金堂、右手にも諸堂宇が建つ。これらの簡素な建物が一面に敷きつめられた白砂に映え、清楚な雰囲気がいかにも香華所にふさわしい。
 ついでに、古代には聖徳太子や大陸からの使節が行き交い、中世以降は「太子講」の信者たちが通った竹内街道周辺を散策してみるのもよいだろう。叡福寺の近くには、敏達天皇陵、用明天皇陵、推古天皇陵、孝徳天皇陵など「王陵の谷」と呼ばれるほど古墳群があり、近つ飛鳥博物館、竹内街道歴史資料館などの文化施設も充実しているので、古代に想いを馳せることができる。
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補足情報

*1 竹内街道:613(推古天皇21)年に難波と飛鳥の京(みやこ)を結び整備された道で、当初は大道(だいどう)と呼ばれた日本最古の官道がその始まりである。後に竹内街道と称されるようになった。全長約40km。古代には飛鳥と大陸を行き交う「外交の道」、中世近世には聖徳太子信仰を支える「信仰の道」、物資を運ぶ「経済の道」として重要な役割を果たしてきた。現在は、ほぼ同じルートで国道166号線が大阪と奈良を結んでいる。
*2 墓所(廟所):叡福寺境内の北側の丘陵地にあり、「磯長陵」(宮内庁所管)と呼ばれている。奈良時代の史書「日本書紀」の「推古天皇二十九(621)年春二月」の条に「厩戸豐聰皇子命薨于斑鳩宮(聖徳太子が斑鳩宮で亡くなった)」とし、「是月。葬上宮太子於磯長陵(太子を磯長陵に葬る)」と記録している。また、平安中期の「延喜式諸陵尞」にも「磯長ノ墓 橘豐日(用明)天皇ノ之皇太子。名云聖徳在河内國石川郡。兆域(墓所)東西三町。南北二町守戸三烟(戸)。」と陵墓の規模とそれを管理する戸数を記している。円墳の型式で直径54.2m、高さ7.2m、横穴式石室がある。用明天皇の皇后で聖徳太子の母、穴穂部間人皇后、太子の后の膳部大郎女も合葬されているので「三骨一廟」とも称される。
*3 草創:延喜式に見られるように、古くから廟所を守る坊舎はあったとみられるが、寺院としての創建は、1054(天喜2)年に聖徳太子の墓所より現出したといわれる「太子御記文」や叡福寺境内から発掘された瓦などの出土品から、太子信仰が盛んになった平安後期(11世紀後半から12世紀)ではないかという説もある。
*4 太子信仰:聖徳太子の威徳については早くから伝説化され、崇敬されていたが、奈良時代には太子を菩薩とする伝記が生まれ、その後、太子が救世観世音菩薩の化身とする信仰が定着した。また平安時代に入り浄土教が広がると、行基、円仁などとともに太子を極楽浄土への往生者とする信仰も起こった。中世後期には大工や左官、鋳物師などの職人集団の講として「太子講」が組織され、職人の守護神として崇敬を集めた。
*5 聖霊殿:聖霊殿は聖徳太子像を祀っている。平面L字型の特異な形式をもつ仏堂。桁行三間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺。南面の突出部は桁行三間、梁間二間、一重入母屋造、本瓦葺。
*6 宝塔:本尊は東面に釈迦・文殊・普賢の三尊像、西面に金剛界の大日如来を安置。4本の柱には四天王像が描かれている。 三間多宝塔、本瓦葺。
*7 宝蔵:土・日・祝日(1月と2月は休館)9:30~16:30。(平日は団体予約のみ)。入館有料。
*8 高屋連枚人墓誌:寺の墓地から出土した。長さ25cm、幅17cm、厚さ6cmの石に、常陸国に派遣され776(宝亀7)年没した官吏、枚人の事跡を記している。国指定の重要文化財に指定されている。
*9 大乗会法要:金堂において法要が厳粛に行われ、聖霊殿では表千家家元による献茶式が催される。境内では柴燈大護摩供が執り行われ、諸堂は開扉され、特別拝観が実施される。