石切劔箭神社
腫物に霊験がある神で知られ、また延喜式内社に列したこの神社は、近鉄奈良線石切駅から西へ800m、同けいはんな線新石切駅から東へ約650mのところにある。古くからの門前町の石切参道商店街は石切駅からの道沿いとなる。一の鳥居、二の鳥居は社殿の南から参道に連なり、三の鳥居前で石切駅側からの参道と交わる。三の鳥居の南側に、重厚な絵馬殿*1が建ち、大屋根の上には矢が支えるように大きな剣が天に向って立っている。三の鳥居の正面が1932(昭和7)年に造営の本殿となり、本殿を取り囲むように末社の水神社・五社明神社など多くの社殿が建ち並んでいる。同社の主祭神は饒速日尊(邇芸速日命・にぎはやひのみこと)とその子の可美真手命(うましまでのみこと)である。
同社の創建については、神武天皇の東征に係る創建神話*2はあるものの、室町時代末期に記録類が焼失したため定かではない。ただ、正史(「三代実録」)においても、866(貞観7)年に従五位下の神位を賜った記録が遺され、927(延長5)年成立の延喜式神名帳にも記載されているので、それ以前から鎮座していたことは分かっており、古くから石切地区周辺の産土神であったと思われる。
神社名の「石切劔箭」とは、御祭神の御神威がどんな岩も切り裂き、貫き通すほど偉大な様をあらわしており、その御神威によって悪いものを断ち切ってくださることから、「でんぼ(腫物)の神様」として知られている。また、お百度参りも全国的に有名である。同社の御祭神である饒速日尊が最初に祀られたという生駒山頂付近から江戸初期に遷座したといわれる上之社*3は石切駅南東の高台にある。
石切駅から参道の両側には、食事処や漢方薬屋、お土産屋、占いの店などが軒を並べている。
同社の創建については、神武天皇の東征に係る創建神話*2はあるものの、室町時代末期に記録類が焼失したため定かではない。ただ、正史(「三代実録」)においても、866(貞観7)年に従五位下の神位を賜った記録が遺され、927(延長5)年成立の延喜式神名帳にも記載されているので、それ以前から鎮座していたことは分かっており、古くから石切地区周辺の産土神であったと思われる。
神社名の「石切劔箭」とは、御祭神の御神威がどんな岩も切り裂き、貫き通すほど偉大な様をあらわしており、その御神威によって悪いものを断ち切ってくださることから、「でんぼ(腫物)の神様」として知られている。また、お百度参りも全国的に有名である。同社の御祭神である饒速日尊が最初に祀られたという生駒山頂付近から江戸初期に遷座したといわれる上之社*3は石切駅南東の高台にある。
石切駅から参道の両側には、食事処や漢方薬屋、お土産屋、占いの店などが軒を並べている。

みどころ
同社を訪れると、腫物の神様として霊験あらたかと知られているせいか、参詣者の多さに驚く。境内はさして広くはないが、とくに2つの百度石の周りには、お百度を踏む人々がひっきりなしに行き来している。神社での参詣を終えたら、ぜひ、石切駅までの参道沿いの昔ながらの門前町をゆっくり楽しみたい。駅からはかなりの下り坂なので、帰りは上り坂が続くことになるが、それでも賑わいが随所にあり、レトロな雰囲気に溢れた店が並ぶのでそれほど苦にはならない。店先に並ぶ商品も、お土産も昔懐かしいものが多い。また、占いの店が多いのも特徴だ。

補足情報
*1 絵馬殿:正方形の建物で2層の楼門。1961(昭和36) 年 に造営。楼門の両脇には随神像2体を安置。
*2 創建神話:当地の支配者長随彦は天照大神の係累である饒速日尊に従っていたものの、神武天皇の東征に対してはこの地で抵抗した。しかし、饒速日尊の子可美真手命は帰順を諭し、大和の平定を神武天皇は果たした。その後、可美真手命は天皇より布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)と河内の領地を賜り、その末裔は物部氏として天皇に仕えたという。可美真手命が神武天皇の即位した翌年に宮山(生駒山)に饒速日尊を祀ったのが、石切劔箭神社の始まりとされる。その後、17世紀に宮山から現在の上之社の地に遷座され、すでに可美真手命が祀られていた現在地を下之社としたという。明治に入り政府の神社合祀策にもとづき、二神を現在地に合祀することになった。
*3 上之社:上之社の現在の本殿は もともとは室町時代に現在の石切劔箭神社の本殿として造営されたもの。それを1932(昭和7)年に現在の石切劔箭神社の本殿を造営した際に解体保存しており、この建築資材を基として、1972(昭和47)年に改めて修復再建した。
*2 創建神話:当地の支配者長随彦は天照大神の係累である饒速日尊に従っていたものの、神武天皇の東征に対してはこの地で抵抗した。しかし、饒速日尊の子可美真手命は帰順を諭し、大和の平定を神武天皇は果たした。その後、可美真手命は天皇より布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)と河内の領地を賜り、その末裔は物部氏として天皇に仕えたという。可美真手命が神武天皇の即位した翌年に宮山(生駒山)に饒速日尊を祀ったのが、石切劔箭神社の始まりとされる。その後、17世紀に宮山から現在の上之社の地に遷座され、すでに可美真手命が祀られていた現在地を下之社としたという。明治に入り政府の神社合祀策にもとづき、二神を現在地に合祀することになった。
*3 上之社:上之社の現在の本殿は もともとは室町時代に現在の石切劔箭神社の本殿として造営されたもの。それを1932(昭和7)年に現在の石切劔箭神社の本殿を造営した際に解体保存しており、この建築資材を基として、1972(昭和47)年に改めて修復再建した。
関連リンク | 石切劔箭神社(WEBサイト) |
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参考文献 |
石切劔箭神社(WEBサイト) 「大阪府神社史資料 石切劔箭神社」昭和8年 873/975 国立国会図書館デジタルコレクション 「石切劔箭神社上之社御由緒」 「日本大百科全書(ニッポニカ)『石切』」小学館 大阪府建築士協会「石切劔箭神社」 |
2025年03月現在
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