大鳥大社おおとりたいしゃ

JR阪和線鳳駅の北450mほどのところにある。同社は、927(延長5)年成立の延喜式神名帳に社格の高い「名神大社」としての記載がすでにあり、和泉国の一ノ宮とされる。江戸時代には「大鳥大明神」と称されていた。創建伝承として日本武尊の白鳥伝説*2がある。なお、祭神は日本武尊と大鳥連祖神を祀る。
 境内は5万m2と広く、「千種の杜」*3の別名を有し、樹木が茂り、その中に社殿が点在する。本殿は大鳥造*4といい、出雲大社の大社造、伊勢神宮の神明造、住吉大社の住吉造などとともに古代の神社建築様式を今に伝えている。なお、本殿は戦国時代に戦乱で焼失し、その後再建されたが、明治期に落雷で再び焼亡したため、1909(明治42)年に復元造営をしたものである。
 境内には、平清盛が平治の乱によって急きょ熊野詣から引き返す途中に同社で参拝して詠んだ歌の碑*5などがある。
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みどころ

正面の大鳥居とよく整備された幅広い参道がまず印象的だ。それをまっすぐ進み、右手に折れ、さらに左に曲がると「千種の杜」が豊かな緑で境内を覆い、住宅街から一挙に森厳な神域に立ち入ったことを感じさせる。左手に日本武尊御神像を見上げ、また、さらに左に向かうとどっしりとした千木を備えた拝殿が設えられている。その奥に大鳥造の本殿が控えており、それを垣間みることができる。
 商店街・住宅街の真ん中で遠くに電車の通過音もするものの、緑の深い「千種の杜」に囲まれ神聖な社殿を目の前にすれば、自ずと神話・伝承の世界に引き込まれる。
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補足情報

*1 大鳥連:かつてこの地域は大鳥郡といわれたが、その地には大鳥連・和太連・蜂田連・民直・殿来連など、大和朝廷の中央にいた中臣氏と同祖で天児屋根命の末裔とする氏族集団が存在した。大鳥大社はその中心的な信仰の対象だったと思われる。
*2 白鳥伝説:日本武尊は、「日本書紀」によると伊勢能褒野(のぼの)で薨じたあと白鳥となって飛びたち大和・河内にとどまったので墓を造ったという。羽曳野の地名はこの伝説によっている。「大鳥社伝」では「其後宮殿を同国大野里に建てて鎮座し給ふ 今の大鳥社これ也 八尋の白知鳥を以て大鳥大明神と号し奉る」としている(江戸後期の「和泉名所図会」による)。
*3 「千種の森」:「大鳥社伝」では日本武尊が同社に鎮座してから、「爾来一夜に種々の樹木生ず 此ゆへに千種の杜といふ」としるしている(江戸後期の「和泉名所図会」による)。
*4 大鳥造:大社造と同様、切妻造、妻入りで正面、側面共二間であるが、入り口は正面中央にあるため中央の柱はなく、内部は前後の2室に分かれている。心柱がなく、高床も低い点などが大社造と異なる。
*5 歌の碑:1159(平治元)年、同社で平治の乱の戦勝祈願として、「かひこ(卵)ぞよ かへ(孵)りはてなば 飛びかけり はぐく(育)みたてよ 大鳥の神」と詠んだという。平治の乱は後白河天皇の側近、信西(しんぜい)と藤原信頼が対立し、信西には平氏が、藤原信頼には源氏が結びついて争い、平氏方の勝利によって、平氏が政治の実権を把握するようになるきっかけとなった。