枚岡神社
近鉄奈良線枚岡駅すぐ、生駒山地の枚岡山麓に鎮座している。社伝では神武天皇ご東征の際、神事の神で皇室の守護神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売御神(ひめみかみ)を国土平定祈願のため、生駒山麓の聖地「神津嶽」(同社の本宮)に祀ったのが創祀*1となっている。さらに650(白雉元)年に現在の地に遷したと伝えられている。また768(神護景雲2)年には、奈良の春日大社創建に際し、皇室の守護神である天児屋根命と比売御神の二神の御分霊を併せ祀ったことから「元春日」と称され、古くから尊崇を集めた。
中世以降は927(延長5)年に成立した延喜式の式内社として記載され、河内国一之宮として栄えた。
朱塗りの4殿並列の本殿は創建から焼失を繰り返し、現存の社は1826(文政9)年に、再建されたもの。
参道の途中、本殿に向かって右手方向の山腹には枚岡梅林がある。明治期の神仏分離までは同社の神宮寺の神護寺があったところで、その跡に氏子らの思いによって梅が植えられた大阪最古の梅林であった。外来の樹木の病気により伐採を余儀なくされた。2021(令和3)年に約200本余の梅と共に季節の草花を楽しめる、新たな梅林として生まれ変わった。
年中行事では粥占神事(1月15日)*2や注連縄掛(しめかけ)神事(12月23日)*3などが知られている。
中世以降は927(延長5)年に成立した延喜式の式内社として記載され、河内国一之宮として栄えた。
朱塗りの4殿並列の本殿は創建から焼失を繰り返し、現存の社は1826(文政9)年に、再建されたもの。
参道の途中、本殿に向かって右手方向の山腹には枚岡梅林がある。明治期の神仏分離までは同社の神宮寺の神護寺があったところで、その跡に氏子らの思いによって梅が植えられた大阪最古の梅林であった。外来の樹木の病気により伐採を余儀なくされた。2021(令和3)年に約200本余の梅と共に季節の草花を楽しめる、新たな梅林として生まれ変わった。
年中行事では粥占神事(1月15日)*2や注連縄掛(しめかけ)神事(12月23日)*3などが知られている。

みどころ
枚岡駅を東に出て、すぐの道路を渡ると二ノ鳥居があり、その先には樹が生い茂る広い神域となっている。広い参道の両側には燈篭が建ち並び美しい。参道を進むと明治期の造営という重厚な拝殿が待っている。四殿並列の本殿は枚岡造(王子造)と呼ばれ、極彩色が美しい。拝殿右奥に進むと摂社、末社が鎮座し、さらに参道をそのまま進むと枚岡梅林となり、大阪平野が一望できる。
また、神社左手からは大阪平野の眺望が素晴らしい枚岡山展望台や本宮を巡る約2.7kmのハイキングコースも設定されている。
また、神社左手からは大阪平野の眺望が素晴らしい枚岡山展望台や本宮を巡る約2.7kmのハイキングコースも設定されている。

補足情報
*1 創祀:神武天皇ご即位(日本建国)の3年前に、聖地神津嶽で祭祀をおこなったことから、約2690年前を創祀とする世界最古の古社の一つ。
*2 粥占神事:釜で小豆粥を炊きその間、かまどに黒樫の占木を平年は12本入れ、こげぐあいで月の晴雨を占う。その神事がすむころ、釜から長さ3寸、53本の篠竹を出し、1本ずつをたてに割り、竹の中に入っている粥の多少によってその年の穀物の豊凶を占う神事。
*3 注連縄掛神事:当日早朝より新しく作った大注連縄を掛け替え、その注連縄を通し神話の天の岩戸開きになぞらえ宮司の先導のもと参列者全員で「アッハッハアー」と3度大いに笑う神事。現在ではその後20分間全員で思い思いに笑い福を招く開運笑福(招福)の神事となっている。
*2 粥占神事:釜で小豆粥を炊きその間、かまどに黒樫の占木を平年は12本入れ、こげぐあいで月の晴雨を占う。その神事がすむころ、釜から長さ3寸、53本の篠竹を出し、1本ずつをたてに割り、竹の中に入っている粥の多少によってその年の穀物の豊凶を占う神事。
*3 注連縄掛神事:当日早朝より新しく作った大注連縄を掛け替え、その注連縄を通し神話の天の岩戸開きになぞらえ宮司の先導のもと参列者全員で「アッハッハアー」と3度大いに笑う神事。現在ではその後20分間全員で思い思いに笑い福を招く開運笑福(招福)の神事となっている。
関連リンク | 枚岡神社(WEBサイト) |
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参考文献 |
枚岡神社(WEBサイト) 「市内の紹介・みどころ」東大阪市(WEBサイト)枚岡梅林・神津嶽コース等 「大阪府神社史資料 枚岡神社」昭和8年 828/975 国立国会図書館デジタルコレクション 「日本歴史地名大系 枚岡神社」平凡社 |
2025年03月現在
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