道明寺天満宮
近鉄南大阪線道明寺駅から西へ約300m。手前に道明寺天満宮の境内が広がり、その先にかつて神宮寺であった道明寺が並ぶ。
同社の創建は、野見宿禰*1を祖とするといわれる土師氏が同地に所領を給わり、氏神として祀ったのが始まりとされる一方、仏教伝来とともに594(推古天皇2)年、同地に土師八嶋*2が氏寺として尼寺の土師寺を創建したとも言われる。同地において発掘された瓦からは7世紀前半には堂宇の一部があったことは分かっている。
その後神仏習合思想の広まりで、土師寺は土師神社の神宮寺となり、土師氏の一族であった菅原道真の叔母覚寿尼が入寺していたことから、同社及び同寺と菅原道真との関係*3が強まった。道真の死後、947(天暦元)年に遺されていた道真の自刻像をご神体として社殿を営み、土師神社の境内に合祀したのが、天満宮としてのはじまりだという。
この折に土師寺の寺号は道明寺*4と改称されている。このため、土師神社も江戸時代までは、広く道明寺天満宮と親しまれていたが、明治の神仏分離により、境内にあった道明寺は西隣りに分離移転し、社号は正式には土師神社としていた。1952(昭和27)年に正式に社号を道明寺天満宮と定めた。
なお、現在の道明寺には道真が彫ったと伝わる十一面観音像*5が安置されており、国宝に指定されている。
境内は南北に長く、神門をくぐると、長い参道が続き、左手は社務所・結婚式場、左右に5体の神牛像*6が並び、右手に1815(文化12)年に建てられた能楽殿と連なり、その先の正面に1745(延享2)年造立の檜皮葺の拝殿・本殿が建つ。本殿裏には各地の天満宮にみられるように梅園が広がり、拝殿の左手に宝物館*7、元宮となる土師社など摂社・末社の社殿が配されている。
年中行事としては菜種御供大祭(3月25日)*8が知られている。
同社の創建は、野見宿禰*1を祖とするといわれる土師氏が同地に所領を給わり、氏神として祀ったのが始まりとされる一方、仏教伝来とともに594(推古天皇2)年、同地に土師八嶋*2が氏寺として尼寺の土師寺を創建したとも言われる。同地において発掘された瓦からは7世紀前半には堂宇の一部があったことは分かっている。
その後神仏習合思想の広まりで、土師寺は土師神社の神宮寺となり、土師氏の一族であった菅原道真の叔母覚寿尼が入寺していたことから、同社及び同寺と菅原道真との関係*3が強まった。道真の死後、947(天暦元)年に遺されていた道真の自刻像をご神体として社殿を営み、土師神社の境内に合祀したのが、天満宮としてのはじまりだという。
この折に土師寺の寺号は道明寺*4と改称されている。このため、土師神社も江戸時代までは、広く道明寺天満宮と親しまれていたが、明治の神仏分離により、境内にあった道明寺は西隣りに分離移転し、社号は正式には土師神社としていた。1952(昭和27)年に正式に社号を道明寺天満宮と定めた。
なお、現在の道明寺には道真が彫ったと伝わる十一面観音像*5が安置されており、国宝に指定されている。
境内は南北に長く、神門をくぐると、長い参道が続き、左手は社務所・結婚式場、左右に5体の神牛像*6が並び、右手に1815(文化12)年に建てられた能楽殿と連なり、その先の正面に1745(延享2)年造立の檜皮葺の拝殿・本殿が建つ。本殿裏には各地の天満宮にみられるように梅園が広がり、拝殿の左手に宝物館*7、元宮となる土師社など摂社・末社の社殿が配されている。
年中行事としては菜種御供大祭(3月25日)*8が知られている。

みどころ
道明寺駅をでると、すぐに「welcome道明寺」(道明寺天神通り商店街」)の看板が掲げられているが、それをくぐり路地といった風情の小道をしばらく西に向かうと、一段高くなった土手が右手に見えてくる。ここにはコンクリート製の登り窯のようなもののなかに埴輪が数点置かれており、案内板には5世紀中葉から後半にこの地にあった埴輪窯の復元だとある。そのすぐ近くに道真がこの地で五部大乗経の写経をした際に使った水を汲んだ「夏水井」が遺されている。さらに進むと右手に石段があり、これを登ると神門となる。神門脇にも「土師窯跡」の大きな石碑が立っており、この地に土師氏がいかに定着し、活躍していたかがよく分かる。長い参道を行くと、左手に能楽台が現れ、鏡板に鮮やかに描かれた老松が存在感を放つ。正面には檜皮葺の拝殿ががっしりと建つ。左手奥には元宮の土師社の小さな社がひっそりあるが、もともとの氏神だったことから氏子の崇敬を集めているという。宝物館は特定の期間しか開館していないものの、菅原道真の遺品とされる宝物が収蔵されているという。
また、一旦、境内の外に出て西に回れば、かつて境内にあった神宮寺の道明寺がある。尼寺らしく、小さくシンプルだが落ち着きのある佇まいを見せている。こちらにも菅原道真作といわれる国宝の十一面観音立像が本堂に安置されており、毎月開帳日があるので、それに合わせ拝観したい。
また、一旦、境内の外に出て西に回れば、かつて境内にあった神宮寺の道明寺がある。尼寺らしく、小さくシンプルだが落ち着きのある佇まいを見せている。こちらにも菅原道真作といわれる国宝の十一面観音立像が本堂に安置されており、毎月開帳日があるので、それに合わせ拝観したい。

補足情報
*1 野見宿禰:力士の始祖と伝えられ、出雲国出身といわれる伝承上の人物。垂仁天皇の頃、皇后崩御に際し、埴輪を考案して殉死の悪習に代えて墳墓に立てることを献言。その功績により一族は土師氏を名乗り、埴輪の制作、陵墓の造成など葬送関係の諸事を司ったという。
*2 土師八嶋:1579(天正7)年成立の「道明寺記」によれば、「此里は垂仁天皇の御宇、野見宿称にはしめて土師の姓を賜りてより里に名付て領知し、敏逹天皇の御宇、土師八嶋に至りて、あひつゐて(相継いで)住居し侍る、宅の北に高き岡あり、松老鶴鳴て、風景ことに愛しつへし、此岡の底磐根(岩盤)に宮はしらふとしきたてゝ(宮柱を建てて)、天日穗命(天穂日命)をいつきまつる(斎つ祀る)、これ土師連等の遠祖なれハなり、今俗に奥の天神いふこれ也」としている。
*3 道真との関係:道真はたびたび土師寺を訪れ、36歳の時には十一面観音像を彫り、40歳のときには五部大乗経を書写したという。57歳の時、大宰府へ左遷された途次にも立ち寄り、自刻の像を彫り、「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音のなからん里の暁もかな」と詠み出立したという。
*4 道明寺:道明寺の寺号は、「道明」が、道真の雅号とする説もあるが、大宰府に左遷され、淀川を下るときに「世につれて浪速入江もにごるなり 道明けらけき寺ぞこひしき」と詠ったこととも言われている。なお、和菓子「道明寺」の材料である道明寺粉(糒・ほしい)は道真が大宰府左遷の後、道真の叔母覚寿尼が毎日、道真のための陰膳を据え、それを多くの人に分けるために乾燥・貯蔵したことが始まりといわれる。
*5 十一面観音立像:平安時代の作で、菅原道真が彫刻したと伝わる。国宝。毎月18日、25日と1月1~3日、4月17日に開帳。拝観有料。
*6 神牛像:5体のうち、一体が青銅製で「撫で牛」と呼ばれ、撫でることでご利益があるとされている。天満宮に神牛像が置かれているのは、道真が丑年の丑の刻生まれであることや大宰府で亡くなったとき、遺骸を運ぶ牛車の牛が動かなくなり、その地を墓所としたことなどに由来しているという。
*7 宝物館:道真が大宰府で亡くなったとき、土師寺の覚寿尼に届けられたという遺品を収蔵。いずれも国宝に指定された唐の舶載品や唐の様式をまねた日本製の調度品で、細工の凝った優美なもの。個人の入館は2月中旬から3月上旬の梅まつり期間中の土・日・祝日など、年間数日なので、事前に確認が必要。有料。団体の入館は要事前相談。
*8 菜種御供大祭:菅公の命日にあたる3月25日に、梅の実の熟した形に作った菜種色の団子を授与する。
*2 土師八嶋:1579(天正7)年成立の「道明寺記」によれば、「此里は垂仁天皇の御宇、野見宿称にはしめて土師の姓を賜りてより里に名付て領知し、敏逹天皇の御宇、土師八嶋に至りて、あひつゐて(相継いで)住居し侍る、宅の北に高き岡あり、松老鶴鳴て、風景ことに愛しつへし、此岡の底磐根(岩盤)に宮はしらふとしきたてゝ(宮柱を建てて)、天日穗命(天穂日命)をいつきまつる(斎つ祀る)、これ土師連等の遠祖なれハなり、今俗に奥の天神いふこれ也」としている。
*3 道真との関係:道真はたびたび土師寺を訪れ、36歳の時には十一面観音像を彫り、40歳のときには五部大乗経を書写したという。57歳の時、大宰府へ左遷された途次にも立ち寄り、自刻の像を彫り、「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音のなからん里の暁もかな」と詠み出立したという。
*4 道明寺:道明寺の寺号は、「道明」が、道真の雅号とする説もあるが、大宰府に左遷され、淀川を下るときに「世につれて浪速入江もにごるなり 道明けらけき寺ぞこひしき」と詠ったこととも言われている。なお、和菓子「道明寺」の材料である道明寺粉(糒・ほしい)は道真が大宰府左遷の後、道真の叔母覚寿尼が毎日、道真のための陰膳を据え、それを多くの人に分けるために乾燥・貯蔵したことが始まりといわれる。
*5 十一面観音立像:平安時代の作で、菅原道真が彫刻したと伝わる。国宝。毎月18日、25日と1月1~3日、4月17日に開帳。拝観有料。
*6 神牛像:5体のうち、一体が青銅製で「撫で牛」と呼ばれ、撫でることでご利益があるとされている。天満宮に神牛像が置かれているのは、道真が丑年の丑の刻生まれであることや大宰府で亡くなったとき、遺骸を運ぶ牛車の牛が動かなくなり、その地を墓所としたことなどに由来しているという。
*7 宝物館:道真が大宰府で亡くなったとき、土師寺の覚寿尼に届けられたという遺品を収蔵。いずれも国宝に指定された唐の舶載品や唐の様式をまねた日本製の調度品で、細工の凝った優美なもの。個人の入館は2月中旬から3月上旬の梅まつり期間中の土・日・祝日など、年間数日なので、事前に確認が必要。有料。団体の入館は要事前相談。
*8 菜種御供大祭:菅公の命日にあたる3月25日に、梅の実の熟した形に作った菜種色の団子を授与する。
関連リンク | 道明寺天満宮(WEBサイト) |
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参考文献 |
道明寺天満宮(WEBサイト) 「朝日日本歴史人物事典」野見宿禰 朝日新聞出版 「大阪府神社史資料」昭和8年 744/975 国立国会図書館デジタルコレクション 「道明寺記について」中井眞孝 仏教大学人文学論集 7 1973年10月 「道明寺と国宝十一面観音」・「土師寺の調査」藤井寺市(WEBサイト) |
2025年03月現在
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