勝尾寺
北大阪急行線箕面萱野駅から北へ約7㎞、阪急箕面線箕面駅から箕面ドライブウエイ・箕面大滝経由で約8kmの勝尾寺川最上流にある。大阪平野の北端、北摂山系の南端の山腹に寺域は広がり、山門・多宝塔・二階堂*1・本堂・大師堂・薬師堂*2(修復中)・荒神堂などが建ち並ぶ。源頼朝による再建と伝えられる薬師堂以外の堂宇は、たびたびの焼失で江戸時代以降の再建修復のものが多い。
同寺の開創については、鎌倉時代の「応頂山勝尾寺古流記」などによれば、708(和銅元)年に摂津国(現・大阪府)に生まれた双子の兄弟、善仲と善算は幼いころから仏門に入り、修行を積んでいたが、727(神亀4)年にさらなる修行の旅に出たところ、紫雲のたなびく山をみつけそこに草庵を結んだとしていることから、当時の山林修行僧によって始められたと考えられている。その後、光仁天皇の皇子、開成皇子が修行のため入山し、善仲・善算から戒を授けられ、同兄弟の没後も開成皇子は修行を続け、775(宝亀6)年に弥勒寺を建立した。778(宝亀9)年に弥勒寺を訪れた修行僧妙観らが千手観音立像*3を彫り、これを祀ったという。さらに、清和天皇をはじめ朝廷の信仰も集め、寺号も「勝尾寺」と改号*4した。境内の北、標高540mの最勝ヶ峰山頂近くには開成皇子の墓がある。西国三十三ケ所第23番霊場。また、中世に寺領の境界を標示するために寺の八方に八天石蔵*5が置かれたが、その跡から8体の仏像を発見され、鎌倉期の作だという。さらに、旧参道の町石*6も13世紀のものが遺されており、ともに国の史跡に指定されている。
アクセスとしては阪急北千里駅から千里中央駅経由の路線バスのほか、2024年3月開業の箕面萱野駅から直行便の路線バスもあり大阪市内からの利便性も高く、マイカー・貸切バス、あるいはハイキングがてらに訪れる人も多い。サクラや紅葉のシーズンなどは、箕面ドライブウェイは交通規制が行われ、勝尾寺駐車場も特定日には完全予約制となるため、事前に規制状況等の確認が必要だ。
同寺の開創については、鎌倉時代の「応頂山勝尾寺古流記」などによれば、708(和銅元)年に摂津国(現・大阪府)に生まれた双子の兄弟、善仲と善算は幼いころから仏門に入り、修行を積んでいたが、727(神亀4)年にさらなる修行の旅に出たところ、紫雲のたなびく山をみつけそこに草庵を結んだとしていることから、当時の山林修行僧によって始められたと考えられている。その後、光仁天皇の皇子、開成皇子が修行のため入山し、善仲・善算から戒を授けられ、同兄弟の没後も開成皇子は修行を続け、775(宝亀6)年に弥勒寺を建立した。778(宝亀9)年に弥勒寺を訪れた修行僧妙観らが千手観音立像*3を彫り、これを祀ったという。さらに、清和天皇をはじめ朝廷の信仰も集め、寺号も「勝尾寺」と改号*4した。境内の北、標高540mの最勝ヶ峰山頂近くには開成皇子の墓がある。西国三十三ケ所第23番霊場。また、中世に寺領の境界を標示するために寺の八方に八天石蔵*5が置かれたが、その跡から8体の仏像を発見され、鎌倉期の作だという。さらに、旧参道の町石*6も13世紀のものが遺されており、ともに国の史跡に指定されている。
アクセスとしては阪急北千里駅から千里中央駅経由の路線バスのほか、2024年3月開業の箕面萱野駅から直行便の路線バスもあり大阪市内からの利便性も高く、マイカー・貸切バス、あるいはハイキングがてらに訪れる人も多い。サクラや紅葉のシーズンなどは、箕面ドライブウェイは交通規制が行われ、勝尾寺駐車場も特定日には完全予約制となるため、事前に規制状況等の確認が必要だ。

みどころ
人家の多い平野部から北摂山系の南端に入り込むと急に道の屈曲が多くなる。ひとしきり登り、門前に辿り着くと、道路に面した建物内のアミューズメントパークの入口のようなゲートから境内に入る。前面に配された池からは、山腹に向け視界が大きく開け、高みにある朱塗りの多宝塔やいくつかの堂宇が緑のなかに点在しているのが見え、清々しさを感じる。池の手前にある山門(仁王門)をくぐって橋を渡ると、水面からミストが湧き上がり幻想的な景観を楽しめる。
本堂に向かって参道を登っていくと、勝ちダルマの納め所が石段右手に沿って段々に設けられ、大小さまざまなダルマが奉納されており、その圧巻の光景に目を奪われる。あたりを見渡すと、いたるところに小さなダルマ(おみくじが収納されていたもの)が置かれており、こちらも壮観だ。勝ちダルマは、寺号に因み、「自分と向き合い、自分の弱い心に打ち勝つ」ということらしい。受験、厄除け、病気、スポーツなどで「勝つ」ことに霊験があるとのことだ。階段を登り詰めると本堂をはじめ堂宇が建ち並び、東南の方向に爽快な眺望が開ける。境内 は広大だが、よく整備されていて、そこから二階堂、多宝塔などを巡ると、気持ちの良い散策となる。四季折々楽しめるが、とくに秋には全山が紅葉に彩られ、訪れる人も多い。
本堂に向かって参道を登っていくと、勝ちダルマの納め所が石段右手に沿って段々に設けられ、大小さまざまなダルマが奉納されており、その圧巻の光景に目を奪われる。あたりを見渡すと、いたるところに小さなダルマ(おみくじが収納されていたもの)が置かれており、こちらも壮観だ。勝ちダルマは、寺号に因み、「自分と向き合い、自分の弱い心に打ち勝つ」ということらしい。受験、厄除け、病気、スポーツなどで「勝つ」ことに霊験があるとのことだ。階段を登り詰めると本堂をはじめ堂宇が建ち並び、東南の方向に爽快な眺望が開ける。境内 は広大だが、よく整備されていて、そこから二階堂、多宝塔などを巡ると、気持ちの良い散策となる。四季折々楽しめるが、とくに秋には全山が紅葉に彩られ、訪れる人も多い。

補足情報
*1 二階堂:建永の法難(1205~1207年)による配流を許された法然が帰洛までの4年間滞在した坊院。現在の堂宇は再建。
*2 薬師堂:同堂の本尊であった薬師如来と脇侍像は、縁起によれば、769(神護景雲3)年に開成皇子が一刀三礼(一刀彫るごとに三回礼拝)して彫ったという。この三尊の造仏については、現在では9世紀末~10世紀初頭ごろのものと考えられている。鎌倉時代には講堂に本尊として安置されていたが、のちに薬師堂(それまでの妙法堂)に遷された。現在は宝物館で収蔵され、適時公開される。薬師如来と脇侍像は国の重要文化財に指定されている。なお、薬師堂には千手観音像が安置されており、平安期作ともいわれている。
*3 千手観音立像:妙観らが彫仏した像は源平の兵乱で焼失したとされ、現在のものは江戸期の造仏である。毎月18日開帳。
*4 改号:勝尾寺の寺号は、同寺の縁起によれば、平安時代、清和天皇(在位858~876年)の病をこの山中の寺から祈祷を行って鎮めたことから、平癒に効験があるとされ、天皇から「勝王」として賜ったが、「王」を憚り「尾」として、それまでの寺号「弥勒寺」を「勝尾寺」と改めたと伝えられている。
*5 八天石蔵:縁起等によれば、開成皇子は、当初の寺領8町の四隅と境内の四方四隅の8ヶ所に同じく四天王像を安置して境内を護ったと伝えられ、1230(寛喜2)年の文書にも「八天石蔵」の名が記録されている。本堂を中心として、四天王像がそれぞれの石蔵に交互に配され、自然石をもって方形三段の壇を築いている。下段は4m四方、高さは約1mであり、四天王像は26~30cmである。
現在は、宝物館に収蔵されている。
*6 町石:参道に置かれた石の道標。表参道、東巡礼道、高山道などの旧参道に点在する。山門に近い8基は「宝治元年」(1247)の銘があり、わが国最古のものとされる。
*2 薬師堂:同堂の本尊であった薬師如来と脇侍像は、縁起によれば、769(神護景雲3)年に開成皇子が一刀三礼(一刀彫るごとに三回礼拝)して彫ったという。この三尊の造仏については、現在では9世紀末~10世紀初頭ごろのものと考えられている。鎌倉時代には講堂に本尊として安置されていたが、のちに薬師堂(それまでの妙法堂)に遷された。現在は宝物館で収蔵され、適時公開される。薬師如来と脇侍像は国の重要文化財に指定されている。なお、薬師堂には千手観音像が安置されており、平安期作ともいわれている。
*3 千手観音立像:妙観らが彫仏した像は源平の兵乱で焼失したとされ、現在のものは江戸期の造仏である。毎月18日開帳。
*4 改号:勝尾寺の寺号は、同寺の縁起によれば、平安時代、清和天皇(在位858~876年)の病をこの山中の寺から祈祷を行って鎮めたことから、平癒に効験があるとされ、天皇から「勝王」として賜ったが、「王」を憚り「尾」として、それまでの寺号「弥勒寺」を「勝尾寺」と改めたと伝えられている。
*5 八天石蔵:縁起等によれば、開成皇子は、当初の寺領8町の四隅と境内の四方四隅の8ヶ所に同じく四天王像を安置して境内を護ったと伝えられ、1230(寛喜2)年の文書にも「八天石蔵」の名が記録されている。本堂を中心として、四天王像がそれぞれの石蔵に交互に配され、自然石をもって方形三段の壇を築いている。下段は4m四方、高さは約1mであり、四天王像は26~30cmである。
現在は、宝物館に収蔵されている。
*6 町石:参道に置かれた石の道標。表参道、東巡礼道、高山道などの旧参道に点在する。山門に近い8基は「宝治元年」(1247)の銘があり、わが国最古のものとされる。
関連リンク | 勝尾寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
勝尾寺(WEBサイト) 「国指定文化財データベース 旧境内牓示八天石蔵出土品及び町石 木造薬師如来及両脇侍像」文化庁(WEBサイト) 「箕面市史 史料編 第1 (勝尾寺文書)」1968年 87/214 国立国会図書館デジタルコレクション 「箕面市史 第1巻 (本編)」1964年 64/282 国立国会図書館デジタルコレクション |
2025年03月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。