重森三玲庭園美術館
吉田山の西麓にある吉田神社*の近く、市バス京大正門前から徒歩7分のところにある。昭和の名作庭家であり日本庭園史の研究家である重森三玲*が後半生を過ごした邸宅の一部を、一般に公開している庭園美術館。もとは吉田神社の社家の旧邸で、主屋は享保年間(1716~1736年)に、書院は1789(寛政元)年に建てられたものと伝わる。これらを1943(昭和18)年、重森三玲が47歳の時に譲り受けた。その後、1953(昭和28)年に「無字庵」、1969(昭和44)年には「好刻庵」という、2つの茶席を自ら設計。茶庭や坪庭、書院前の庭なども自作した。
重森三玲が74歳の時、1970年(昭和45年)に造った庭園(書院前の庭)は、水面に見立てた白砂と、苔に覆われた流線形の築山に、青石の巨石で蓬莱島などを配した枯山水。「永遠のモダン」といわれる重森三玲の作庭スピリッツが凝縮された傑作である。
重森三玲が74歳の時、1970年(昭和45年)に造った庭園(書院前の庭)は、水面に見立てた白砂と、苔に覆われた流線形の築山に、青石の巨石で蓬莱島などを配した枯山水。「永遠のモダン」といわれる重森三玲の作庭スピリッツが凝縮された傑作である。

みどころ
江戸時代の吉田神社の社家建築と、重森三玲が造った昭和の茶席と庭の調和が素晴らしい。特に、書院から鑑賞する枯山水庭園(書院前の庭)は、モダンな苔の地割りと、大胆な石組みが見事。石組みに用いられている青石の模様も美しい。有名社寺の庭を幾つも手掛けた重森三玲が、自らの手で自邸に造り、日々眺めていたことを想いながら鑑賞したい。
見学は、完全予約申込制。1回の見学定員は15名程度で、館長の解説を聴きながら庭園観賞できるので落ち着いて見学できるのも魅力である。重森三玲の孫である重森三明館長を中心に、重森三玲の親族数名によって運営されているので、見学できる日時や、書院・茶室などへの入室可能期間など変則的。
見学は、完全予約申込制。1回の見学定員は15名程度で、館長の解説を聴きながら庭園観賞できるので落ち着いて見学できるのも魅力である。重森三玲の孫である重森三明館長を中心に、重森三玲の親族数名によって運営されているので、見学できる日時や、書院・茶室などへの入室可能期間など変則的。

補足情報
*吉田神社:平安京の鎮守社として奈良の春日大社の神を勧請したのが始まり。大規模な節分祭でも有名。
*重森三玲:1896~1975年。岡山県出身。独学で庭園を学び、全国500カ所の名庭を実測調査するなど日本庭園史の研究家となる。「日本庭園史大系」全35巻を1976(昭和51)年に完成させた(共著)。研究の傍ら、多くの枯山水の作庭を手掛け、代表作として「東福寺 本坊庭園」、「龍吟庵(りょうぎんあん)庭園」、「松尾大社 松風苑」などがある。茶道や生け花の研究家としても知られる。
*重森三玲:1896~1975年。岡山県出身。独学で庭園を学び、全国500カ所の名庭を実測調査するなど日本庭園史の研究家となる。「日本庭園史大系」全35巻を1976(昭和51)年に完成させた(共著)。研究の傍ら、多くの枯山水の作庭を手掛け、代表作として「東福寺 本坊庭園」、「龍吟庵(りょうぎんあん)庭園」、「松尾大社 松風苑」などがある。茶道や生け花の研究家としても知られる。
関連リンク | 重森三玲邸書院・庭園(WEBサイト) |
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参考文献 |
重森三玲邸書院・庭園(WEBサイト) 「重森三玲邸庭園」パンフレット 重森三玲庭園美術館(WEBサイト) |
2025年05月現在
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