勝持寺
西京区大原野の山裾に位置。阪急京都線「東向日駅」から阪急バスで20分の「南春日町」下車、徒歩約20分で到達する。西行法師*が出家し、庵を結んだ寺と伝わり、境内には「西行桜」はじめ約100本の桜があり、古来「花の寺」と呼ばれている。世阿弥作の謡曲「西行桜」の舞台ともされる。
679(天武天皇8)年、天武天皇の勅により役行者が創建したと伝わる。791(延暦10)年に桓武天皇の命で最澄が伽藍を再建し、薬師瑠璃光如来を刻んで本尊とした。838(承和5)年、仁明天皇の勅によって塔頭49院が建立されたが、応仁の乱で仁王門を除いて焼失。天正年間(1573~1592)に再建され、江戸時代には徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院の援助を受けた。
「太平記」には、婆娑羅大名として知られる佐々木道誉が当寺で花見の宴を開いたことが記されており、南北朝時代にはすでに桜名所だったようだ。戦国武将の細川幽斎はこの寺で「大原野千句」と呼ばれる連歌の会を開いており、その時の懐紙は重要文化財となっている。また戦国武将で歌人の木下長嘯子(ちょうしょうし)*は、細川幽斎に和歌を学び、晩年この地で隠棲した。
白い土塀に囲まれた境内には、阿弥陀堂(本堂)、空海が刻んだという不動明王を祀る不動堂、瑠璃光殿(収蔵庫)などが立つ。また大原野の歌枕である「冴野(さえの)の沼」が境内にある。
679(天武天皇8)年、天武天皇の勅により役行者が創建したと伝わる。791(延暦10)年に桓武天皇の命で最澄が伽藍を再建し、薬師瑠璃光如来を刻んで本尊とした。838(承和5)年、仁明天皇の勅によって塔頭49院が建立されたが、応仁の乱で仁王門を除いて焼失。天正年間(1573~1592)に再建され、江戸時代には徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院の援助を受けた。
「太平記」には、婆娑羅大名として知られる佐々木道誉が当寺で花見の宴を開いたことが記されており、南北朝時代にはすでに桜名所だったようだ。戦国武将の細川幽斎はこの寺で「大原野千句」と呼ばれる連歌の会を開いており、その時の懐紙は重要文化財となっている。また戦国武将で歌人の木下長嘯子(ちょうしょうし)*は、細川幽斎に和歌を学び、晩年この地で隠棲した。
白い土塀に囲まれた境内には、阿弥陀堂(本堂)、空海が刻んだという不動明王を祀る不動堂、瑠璃光殿(収蔵庫)などが立つ。また大原野の歌枕である「冴野(さえの)の沼」が境内にある。

みどころ
最寄りの南春日町バス停から西方向へ歩き、大原野神社の鳥居を過ぎた先に勝持寺の仁王門が立つ。そこから約350mの趣ある参道が南門まで続いている。車で来た場合は寺のすぐ東側の駐車場にとめられるが、こちらからの参詣がお勧めである。
寺には約100本の桜があり、開花期の境内は花に埋もれるようになる。鐘楼脇にある「西行桜」は西行が植えた桜の3代目になるという。高浜虚子は「地にとどく 西行桜 したしけれ」と詠んでいる。境内には楓も多く、秋は紅葉が楽しめる。
瑠璃光殿には、本尊の薬師如来坐像*(重要文化財)、その胎内仏の薬師如来坐像(同)、かつて仁王門に安置されていた金剛力士立像(同)、西行法師像などが安置されている。
寺には約100本の桜があり、開花期の境内は花に埋もれるようになる。鐘楼脇にある「西行桜」は西行が植えた桜の3代目になるという。高浜虚子は「地にとどく 西行桜 したしけれ」と詠んでいる。境内には楓も多く、秋は紅葉が楽しめる。
瑠璃光殿には、本尊の薬師如来坐像*(重要文化財)、その胎内仏の薬師如来坐像(同)、かつて仁王門に安置されていた金剛力士立像(同)、西行法師像などが安置されている。

補足情報
*西行法師:1118~1190年。平安末期の歌人。俗名は佐藤義清。鳥羽上皇の身辺を警護する「北面の武士」であったが、1140(保延6)年、23歳で突如出家。庵のわび住まいと諸国遍歴を重ね、歌を詠んだ。桜を愛して多くの歌に残し、「願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のこと」と自ら詠んだ歌のとおり、河内国弘川寺で73歳の往生を遂げた。
*木下長嘯子:1569~1649年。江戸初期の歌人。名は勝俊。若狭の小浜城主。関ヶ原の戦いの後、京都東山に隠棲。のち西山の勝持寺の近くに移った。
*薬師如来坐像:像高85.1cm。鎌倉時代の寄木造。左手に持つ薬壺から右手で薬をつまみ取るような珍しい姿をしている。この像の胎内から発見された薬師如来坐像は平安前期の作。像高9.1cmの小像ながら、光背には七仏薬師や十二神将像が精緻に彫られている。
*木下長嘯子:1569~1649年。江戸初期の歌人。名は勝俊。若狭の小浜城主。関ヶ原の戦いの後、京都東山に隠棲。のち西山の勝持寺の近くに移った。
*薬師如来坐像:像高85.1cm。鎌倉時代の寄木造。左手に持つ薬壺から右手で薬をつまみ取るような珍しい姿をしている。この像の胎内から発見された薬師如来坐像は平安前期の作。像高9.1cmの小像ながら、光背には七仏薬師や十二神将像が精緻に彫られている。
関連リンク | 勝持寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
勝持寺(WEBサイト) 京都市観光協会 京都観光Navi(WEBサイト) |
2025年05月現在
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