鹿王院ろくおういん

京福電鉄嵐山本線鹿王院駅から徒歩3分にある。1380(康暦2)年、足利義満は自らの長寿を願い、師である春屋妙葩*(しゅんおくみょうは。普明国師)を開山として、宝幢寺(ほうどうじ)を創建。その境内に開山塔を建て、鹿王院と称した。宝憧寺は京都十刹の第五位の名刹だったが応仁の乱で廃絶し、鹿王院だけが残った。のちの地震で大きな被害を受けたが、寛文年間(1661~73)、酒井忠知の子・虎岑(こしん)により再興された。
 山門は唯一残る創建当時の建物。足利義満自筆の「覚雄山」の扁額が掛かる。山門から中門までの石畳の参道両脇には青苔や竹林が続き、天台烏薬などの銘木、椿、楓が茂り、秋は紅葉が美しい。中門をくぐると正面に庫裏があり、その前庭は松や桜に彩られ、ツツジの刈込が苔と調和している。山門以外の建物は、江戸時代の再興以降のもの。客殿、本堂、舎利殿が歩廊によって結ばれ、舎利殿の東側に、嵐山を借景とした枯山水庭園が広がっている。
 鹿王院は女性専用の宿坊としても開かれている。
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みどころ

客殿は明治時代の再建ながら、「鹿王院」の扁額は、山門の扁額と同じく足利義満の自筆である。本堂には運慶作という本尊釈迦如来坐像や十大弟子像を安置。開山堂も兼ねており、開山の普明国師像、開基の足利義満像、中興の虎岑和尚像なども祀られている。宝形造の舎利殿は裳階(もこし)があるので外観は2層に見えるが、中に入ると高い天井の単層であることがわかる。中央の厨子には源実朝が宋より招来し、1374(応安7)年に普明国師に下賜されたという仏牙舎利(ぶつげしゃり。釈迦の歯)を納めた多宝塔を安置する。
 この舎利殿を中心にして、嵐山を借景とする清雅な平庭式枯山水庭園が広がっている。苔に覆われた庭には三尊石などの石組が配置され、樹齢300年を超えるモッコクの銘木もある。この庭園は1763(宝暦13)年ごろの作庭と考えられている。
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補足情報

*春屋妙葩:1312~1388年。室町時代初期の禅僧。夢窓疎石の高弟。相国寺、天龍寺、南禅寺の住持を歴任し、初代の僧録(禅宗寺院・禅僧を管理、統轄する役職)に任命された。
関連リンク 鹿王院(WEBサイト)
参考文献 鹿王院(WEBサイト)

2025年05月現在

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