二尊院にそんいん

JR嵯峨嵐山駅から徒歩20分、「百人一首」に詠われた小倉山*の東麓にある。衆生を現世から来世へ送り出す「発遣(ほっけん)の釈迦」と、浄土へ迎え入れる「来迎の阿弥陀」の二尊*を本尊に祀ることから、二尊院と呼ばれる。正式名称は小倉山二尊教院華臺寺。承和年間(834~847)、嵯峨天皇の勅願で慈覚大師円仁が建立した。のちに荒廃したが、法然が庵を結び、その弟子の湛空が再興した。第3世の湛空、第4世の叡空は天皇の帰依を受け、寺は隆盛したが、応仁の乱で伽藍を焼失。1521(永正18)年に三条西実隆らの力で復興された。近世には、公家の二条家・三条家・三条家・鷹司家や、豪商の角倉家などを檀家に迎えて大いに栄えた。
 境内は小倉山の東麓を占める。入口に立つどっしりとした総門は、角倉了以が伏見城の薬医門を移したもの。ここから長く延びる参道には楓と桜が交互に植えられ、「紅葉の馬場」とも「桜の馬場」ともいわれ、春は桜、秋は見事な紅葉に染まる。本堂*は堂々として優美な佇まい。本堂背後の小倉山中腹には、土御門天皇・後嵯峨天皇・亀山天皇の分骨を納めた三帝陵、湛空の廟所がある。また保津川や高瀬川を開削した角倉了以・素庵父子、江戸時代の儒学者である伊藤仁斎・東涯父子、三条実万・実美父子など多数の名家、文人、学者の墓が立つ。この墓地を抜けたところは、藤原定家が「百人一首」を選定した山荘「時雨亭」の跡地とされる。
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みどころ

本堂の厨子内に本尊の二尊を安置する。向かって右が釈迦如来立像、左が阿弥陀如来立像。いずれも鎌倉末期の作で、重要文化財に指定。ほぼ左右対称で、金泥塗、玉眼を入れる。本堂に掲げられている「二尊院」の額は後奈良天皇の宸筆。本堂の前庭は「龍神遊行の庭」、本堂南側の石庭は「寂光園」と称する。本堂隣の書院の奥にある茶室「御園亭」は、後水尾天皇の第5皇女・賀子内親王の御化粧之間だったものが二条家に与えられ、のちに二尊院に移築されたもの。春と秋の一時期のみ利用できる。
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補足情報

*小倉山:古くからの紅葉の名所。貴人や文化人に愛され、歌に詠まれた。「百人一首」の有名な歌に「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」(貞信公)がある。
*二尊:釈迦はこの世において衆生に阿弥陀仏の極楽浄土への往生を勧め、阿弥陀は慈悲深く浄土へ迎えてくれる。勧める者と招く者とで、漏れなく衆生を救済しようという願いが込められている。この遣迎二尊の思想は中国の唐の時代に広まり、やがて日本に伝わって法然上人に受け継がれたという。
*本堂:6間取り方丈形式の間口が広い建物。1521(永正18)年に三条西実隆が諸国に寄付を求めて再建。2016(平成28)年に約350年ぶりとなる大改修が完了し、壮麗な姿を取り戻した。
関連リンク 二尊院(WEBサイト)
参考文献 二尊院(WEBサイト)
資料「二尊院」
「京都府の歴史散歩 上」山川出版社

2025年05月現在

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