愛宕念仏寺おたぎねんぶつじ

阪急嵐山駅から京都バス清滝行きで「愛宕寺前(おたぎてらまえ)」下車。バス停の前に愛宕念仏寺の仁王門が立つ。嵐山方面から徒歩の場合は、嵯峨鳥居本に立つ愛宕神社の「一の鳥居」を過ぎ、愛宕街道*をさらに清滝方面へ300m進んだ先にある。
 奈良時代、称徳天皇により現在の東山区松原通に愛宕寺として創建された。当時その地は山城国愛宕郡(おたぎごうり)に属し、愛宕に最初に建てられた寺として「愛宕寺」と名付けられた。平安時代に鴨川の洪水で堂宇が流れ廃寺となったが、醍醐天皇の命を受けた天台宗の高僧・千観内供(せんかんないぐ)*が復興。千観内供は生涯念仏を唱え続け「念仏上人」と呼ばれたことから、寺の名も愛宕念仏寺となった。その後は荒廃を繰り返し、1922(大正11)年、本堂を保存するため現在地に移転。それでも再興は叶わず戦後に廃寺となったが、1955(昭和30)年、高名な仏師で僧侶の西村公朝師が住職となり、復興を進めた。
 山桜や楓が美しい山腹の境内に本堂、地蔵堂などが立つ。旧地から移築された本堂はもともと鎌倉時代に建てられたもので、5間四方、単層入母屋造本瓦葺き。簡素ながら鎌倉様式の繊細な曲線が美しく、重要文化財に指定されている。本尊は本堂と同じく鎌倉時代時代に作られた千手観音像。地蔵堂には霊験あらたかな「火之要慎」のお札で知られるあたご本地仏「火除地蔵菩薩」を安置する。また、ふれあい観音堂をはじめ、西村公朝師作の仏像が多数祀られている。
 愛宕念仏寺は「千二百羅漢の寺」としても知られ、一般参拝者が彫った1,200体もの石造の羅漢像が境内各所に表情豊かに並んでいる。
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みどころ

1,200体もの羅漢石像が所狭しと並ぶ姿は壮観である。愛宕念仏寺では1980(昭和55)年から本格的な復興事業に着手するとともに、寺門興隆を祈願して五百羅漢石像の造立を発願。翌年から一般参拝者が彫って奉納するようになり、目標の500体を越え、10年後に1,200体に達した。その姿形はさまざまで、ユーモラスな表情やしぐさをしている像も多く、丁寧に見ていくと心和まされる。
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補足情報

*愛宕街道:嵯峨野を通り、愛宕神社一の鳥居、清滝を経て、標高924mの愛宕山山頂にある愛宕神社に至る参詣道。愛宕神社は全国に約900社ある愛宕神社の総本宮で、火伏・防火の神として信仰を集める。奈良時代の創建後、愛宕権現を祀る白雲寺として栄え、明治の神仏分離で白雲寺は廃絶されて愛宕神社となった。
*千観内供:918~983年。平安時代中期の僧。園城寺で天台教学を学び、宮中の内道場に奉仕する内供奉(ないぐぶ)の地位にあったが、のちに空也を慕って浄土教に傾倒した。愛宕念仏寺が所蔵する木造千観内供坐像は鎌倉期の肖像彫刻の傑作で重要文化財に指定されている(京都国立博物館に寄託)。
関連リンク 愛宕念仏寺(WEBサイト)
参考文献 愛宕念仏寺(WEBサイト)

2025年05月現在

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