常照皇寺
京都市北郊、周山地区の山里にある臨済宗天龍寺派の禅寺。京都駅からJRバス高雄京北線で約1時間30分の周山下車、京北ふるさとバス山国・黒田線に乗換え16分の山国御陵前下車、徒歩7分で到達する。
南北朝時代に北朝初代の天皇となった光厳天皇*が1362(貞治元)年に開き、歴代天皇の帰依を受けた皇室ゆかりの寺である。光厳天皇は上皇になり40歳を過ぎるころ、禅の修行の道に入り、丹波国山国荘の無住寺を常照皇寺に改めて隠棲。1364(貞治3)年に当地で崩御し、寺の裏山の山国陵に葬られた。その後は後花園天皇に護持され、戦国時代に一時衰退したが、江戸時代に後水尾天皇により復興。徳川2代将軍秀忠からも寺領を寄進された。
自然を愛した光厳天皇にふさわしく、寺はモミ・ツガなどの木々が生い茂る山裾にあり、仏殿、開山堂、茅葺きの方丈、書院など清楚な建物が立つ。開山堂に祀られる阿弥陀三尊像は国指定重要文化財。方丈庭園は光厳天皇による作庭と伝わる。
境内のサクラも有名で、春には天然記念物の九重桜などの名木が爛漫と咲き乱れる。また、秋の紅葉も見ごたえがある。
南北朝時代に北朝初代の天皇となった光厳天皇*が1362(貞治元)年に開き、歴代天皇の帰依を受けた皇室ゆかりの寺である。光厳天皇は上皇になり40歳を過ぎるころ、禅の修行の道に入り、丹波国山国荘の無住寺を常照皇寺に改めて隠棲。1364(貞治3)年に当地で崩御し、寺の裏山の山国陵に葬られた。その後は後花園天皇に護持され、戦国時代に一時衰退したが、江戸時代に後水尾天皇により復興。徳川2代将軍秀忠からも寺領を寄進された。
自然を愛した光厳天皇にふさわしく、寺はモミ・ツガなどの木々が生い茂る山裾にあり、仏殿、開山堂、茅葺きの方丈、書院など清楚な建物が立つ。開山堂に祀られる阿弥陀三尊像は国指定重要文化財。方丈庭園は光厳天皇による作庭と伝わる。
境内のサクラも有名で、春には天然記念物の九重桜などの名木が爛漫と咲き乱れる。また、秋の紅葉も見ごたえがある。

みどころ
山門から続く参道は緑に包まれ、緩やかな階段が続いて趣がある。春の境内はサクラで埋まり、大勢の人が訪れる。名木も多く、開山堂前にある「九重桜」は細い枝を幾重にも垂らす樹齢600年以上のシダレザクラ。方丈前の「御車返しの桜」は一重と八重が入り混じって咲く珍しいもので、後水尾天皇が何度も車を引き返させては愛でたと伝わる。ほかに京都御所から株分けされたという「左近の桜」もある。

補足情報
*光厳法皇:1313~1364年。北朝初代の天皇。後醍醐天皇の皇太子となり、1331(元弘元)年に皇位につくが、建武の中興で退位。のちに上皇として院政を敷くが、大和国賀名生で出家。仏門に入り、光厳法皇として「光厳院御集」などを残した。
関連リンク | 京都市観光協会 京都観光Navi(WEBサイト) |
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参考文献 |
京都市観光協会 京都観光Navi(WEBサイト) 京都府観光ガイド(WEBサイト) |
2025年05月現在
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