宝泉院ほうせんいん

洛北・大原の里。三千院の門前を北に進むと勝林院(大原寺)に突き当たる。宝泉院はその西隣にあり、京都バス「大原」から徒歩約15分で到着する。勝林院は天台声明の根本道場として1013(長和2)年に創建されたお寺で、宝泉院はその塔頭として平安末期に開かれたと伝わる。
 宝泉院には盤桓園(ばんかんえん)、鶴亀庭園、宝楽園、鹿野園(ろくやおん)の4つの美しい庭園がある。中でも客殿の西から南に広がる盤桓園は「額縁庭園」とも呼ばれるように、書院からの眺めは額縁の中の絵を見るよう。この庭には樹齢700年という五葉松もある。「盤桓」とは「立ち去りがたい」の意味をもつ。部屋から格子越しに見る鶴亀庭園は江戸時代中期の作。池の形を鶴、築山を亀、山茶花の古木を蓬莱山と見立てた庭で、樹齢300年の沙羅双樹もある。宝楽園は2005(平成17)年に境内南側の低地に新たに作庭された回遊式枯山水庭園。心の内にある仏や神の世界を、岩組や木々、草花、白砂などで表しているという。
 書院は江戸時代中期頃の再建。廊下の天井は伏見城の遺構で「血天井*」と呼ばれる。
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みどころ

「額縁庭園」とも呼ばれる盤桓園には、竹や楓、桜などが植えられ、それらの間から大原の山が見える。書院内部から眺めると、書院の柱・鴨居・敷居が額縁の役を果たし、1枚の絵を見るような趣がある。宝泉院のシンボルである五葉松は近江富士(三上山)を象っている。枝張りに勢いがあり、南北11.5m、東西14mのほぼ扇形で、絶好の写真の被写体である。高浜虚子*はこの松を「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠んだ。この客殿では水琴窟の音に耳を傾け、庭園の景観も愛でながら抹茶も楽しめる。
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補足情報

*血天井:関ヶ原合戦前の1600(慶長5)年、徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が豊臣の大軍と戦い伏見城中で自刃した。その武将たちの霊を慰めるため、血が染み付いた床板を寺の天井に用いて供養としている。
*高浜虚子(たかはまきょし):1874~1959年。明治・大正・昭和の3代にわたる俳人・小説家。正岡子規に師事。俳誌「ホトトギス」を継承して主宰、多くの門下を育てた。「虚子句集」「五百句」、小説「風流懺法(せんぽう)」「俳諧師」など。
関連リンク 宝泉院(WEBサイト)
参考文献 宝泉院(WEBサイト)
大原観光保勝会(WEBサイト)

2025年05月現在

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