京料理
京都は平安京遷都以来、長く日本の政治・文化・宗教の中心地として栄えてきた。公家・武家・僧侶などの行事やしきたり、日常生活は多様な食文化を育んできた。仏教思想とも相まって、京都の気候、地質に適した多彩な野菜に加え、琵琶湖や近海だけでなく遠く北の海からも水産物が運ばれ、同時に、内陸であるがゆえの加工、調理法の創意工夫、なかでも「だし」の利用が京都の食文化を発展させた。
歴史的には大饗(だいきょう)料理*、精進料理、本膳料理*、懐石料理、それに庶民の日常料理(お番菜*)が、現在の京料理を生み出した。2022(令和4)年に京料理を国登録無形文化財とするに当たっては、「調理・しつらい・接遇を一体化する中で、食を通じた『京都らしさ』の表現をおこなうわざ」と、料理だけでなく、食事場所の環境やもてなしも含めて「京料理」とされている。
歴史的には大饗(だいきょう)料理*、精進料理、本膳料理*、懐石料理、それに庶民の日常料理(お番菜*)が、現在の京料理を生み出した。2022(令和4)年に京料理を国登録無形文化財とするに当たっては、「調理・しつらい・接遇を一体化する中で、食を通じた『京都らしさ』の表現をおこなうわざ」と、料理だけでなく、食事場所の環境やもてなしも含めて「京料理」とされている。

みどころ
現在の京料理に大きな影響を与え続けているのは、精進料理と懐石料理。鎌倉時代に伝わった禅宗を中心とする寺院で、肉食を避け、野菜を中心とする献立がいろいろ工夫され、豆腐など大豆や小麦粉の利用が進み、「だし」を使うことで煮物料理が発達し、料理の幅が広がった。武士の饗応料理をメインに発達した、見た目と量を重視する本膳料理と対極をなすのが、懐石料理。茶道の流行とともに、茶事でおいしく濃茶を楽しむための料理として考えられた。素材の季節感や組み合わせ、器、盛り付け、料理を出すタイミングといった懐石料理の要素と心得が、京料理に生きている。料理の出し方も本膳料理のように、全部の料理を最初から出す「配膳形式」と異なり、懐石料理は食事の進み具合に応じて一品ずつ出す「喰い切り形式」。これだと温かいものは温かい状態で口にできる。器を愛で、座敷や庭のしつらえを観賞し、香りや盛り付けの美しさなどを五感で味わうことで、ただ、口にしておいしいだけでなく、知的な悦びや楽しさが感じられるのが京料理の魅力である。精進料理では大徳寺そばの「一久」、大徳寺大慈院内の「泉仙」、妙心寺そばの「阿じろ 本店」、懐石料理では瓢亭(ひょうてい)などの名店がある。
京料理のおいしさは、素材、水、だし。聖護院蕪、堀川ゴボウ、九条ネギ、賀茂ナスと、地名が付いた名産野菜を産し、硬度の低い豊富な地下水、その水が昆布だしのうま味を引き立てるという。エビ芋と棒ダラといった何でもない素材を、「いもぼう」という名品に仕上げるのも、京料理の真骨頂。身欠きニシンや骨だらけのハモも京都では御馳走に変身する。大豆からつくる湯葉も京料理の大事な素材。
京都の料理では、もう一つ、「仕出し屋」というシステムがある。料理をもってきてもらうという点では、出前弁当、デリバリーと境目がわからないが、京都の仕出しは、家人や仲間内で食べるためではなく、大切な客をもてなすために注文する。仕出し屋は客の好みや、届け先までの所要時間などに合わせて料理し、食器に盛り付けて届け、食後には食器を回収する。場合によっては料理道具や食材を持ち込んで現地で料理をして提供する。江戸中期ごろから発達し、西陣や室町の旦那衆が育て、いまもお茶屋、茶事の席など利用される場は多い。
京料理のおいしさは、素材、水、だし。聖護院蕪、堀川ゴボウ、九条ネギ、賀茂ナスと、地名が付いた名産野菜を産し、硬度の低い豊富な地下水、その水が昆布だしのうま味を引き立てるという。エビ芋と棒ダラといった何でもない素材を、「いもぼう」という名品に仕上げるのも、京料理の真骨頂。身欠きニシンや骨だらけのハモも京都では御馳走に変身する。大豆からつくる湯葉も京料理の大事な素材。
京都の料理では、もう一つ、「仕出し屋」というシステムがある。料理をもってきてもらうという点では、出前弁当、デリバリーと境目がわからないが、京都の仕出しは、家人や仲間内で食べるためではなく、大切な客をもてなすために注文する。仕出し屋は客の好みや、届け先までの所要時間などに合わせて料理し、食器に盛り付けて届け、食後には食器を回収する。場合によっては料理道具や食材を持ち込んで現地で料理をして提供する。江戸中期ごろから発達し、西陣や室町の旦那衆が育て、いまもお茶屋、茶事の席など利用される場は多い。

補足情報
*大饗料理:公家社会、特に貴族の社交儀礼の中で発達した宴会料理。定められた切り方、寸法、盛り合わせで、素材のままに酢・塩・醬(ひしお)などで各自味付けして食べた。大饗料理と同様、宮中の節会などで食された公家風の料理に「有職(ゆうそく)料理」がある。室町時代の礼式によって作られた料理。本膳料理の影響も受けた儀式用の料理である。なかでも、京都の生間(いかま)家は平安時代に宮廷料理方として始まり、ほかに四条流・大草流・進士流などがあった。上京区猪熊通出水上ルの萬亀楼(まんかめろう)は生間家の有職料理と、烏帽子、狩衣姿で行う生間流式庖丁という儀式を伝えている。
*本膳料理:武家を中心とする社会でつくられた饗応料理。式三献の酒礼や七五三の膳といった祝儀の意味が込められるなど、正式の儀式料理である。 客をもてなす観点から多い時は七膳までついたという料理の量と華やかさ勝負の面があった。現代の冠婚葬祭の料理にその名残があるといえる。
*お番菜:通常の家庭料理。 質素な素材を活かし、季節や年中行事など、地域にちなんだ多様性がある。「お番菜」という語は料理研究家で随筆家でもある大村しげ氏が、1849(嘉永2)年に大坂の料理人が書いた料理本「年中番菜録」の記事から見つけて使い始めたといわれる。地元では「おかず」、「おぞよ(お雑用)」「おまわり」といっていた。「おまわり」は御所言葉で、器の真ん中にご飯を盛り、まわりにおかずを置いたことからこう呼んだという。「おぞよ」も「おまわり」もいまは使う人は少ない。
*本膳料理:武家を中心とする社会でつくられた饗応料理。式三献の酒礼や七五三の膳といった祝儀の意味が込められるなど、正式の儀式料理である。 客をもてなす観点から多い時は七膳までついたという料理の量と華やかさ勝負の面があった。現代の冠婚葬祭の料理にその名残があるといえる。
*お番菜:通常の家庭料理。 質素な素材を活かし、季節や年中行事など、地域にちなんだ多様性がある。「お番菜」という語は料理研究家で随筆家でもある大村しげ氏が、1849(嘉永2)年に大坂の料理人が書いた料理本「年中番菜録」の記事から見つけて使い始めたといわれる。地元では「おかず」、「おぞよ(お雑用)」「おまわり」といっていた。「おまわり」は御所言葉で、器の真ん中にご飯を盛り、まわりにおかずを置いたことからこう呼んだという。「おぞよ」も「おまわり」もいまは使う人は少ない。
関連リンク | 京都市文化市民局文化財保護課(WEBサイト) |
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参考文献 |
京都市文化市民局文化財保護課(WEBサイト) 京都市観光協会 京都観光Naviぷらす(WEBサイト) |
2025年05月現在
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