アサヒグループ大山崎山荘美術館
桂川、宇治川、木津川の三川合流域の北西、天王山の南麓にあり、JR京都線「山崎駅」、阪急京都線「大山崎駅」より徒歩約10分のところに位置する。
アサヒグループ大山崎山荘美術館は関西の実業家・加賀正太郎*が大正から昭和初期にかけ建設した別荘「大山崎山荘」を活かした美術館。加賀自らが設計した英国式の優美な本館に、世界的建築家・安藤忠雄設計の新棟などを加え、1996(平成8)年に開館した。敷地面積約1.8万m2で本館、「地中の宝石箱」地中館、「夢の箱」山手館、彩月庵(茶室・非公開)、栖霞楼(せいかろう・物見塔・非公開)、その他の建物、四季折々に美しい庭園などからなる。
アサヒグループ大山崎山荘美術館は関西の実業家・加賀正太郎*が大正から昭和初期にかけ建設した別荘「大山崎山荘」を活かした美術館。加賀自らが設計した英国式の優美な本館に、世界的建築家・安藤忠雄設計の新棟などを加え、1996(平成8)年に開館した。敷地面積約1.8万m2で本館、「地中の宝石箱」地中館、「夢の箱」山手館、彩月庵(茶室・非公開)、栖霞楼(せいかろう・物見塔・非公開)、その他の建物、四季折々に美しい庭園などからなる。

みどころ
美術館の所蔵品には、河井寬次郎、バーナード・リーチなどの陶芸、黒田辰秋の木工など、民藝運動にまつわる作品が多い。印象派の巨匠クロード・モネの傑作《睡蓮》や、ヘンリー・ムアの彫刻作品なども所蔵する。
加賀正太郎は若き日に欧州へ遊学。イギリスのウィンザー城を訪れた際に眺めたテムズ川の流れと、三川が合流する大山崎の風景が似ていると気に入り、その風景が眺められる天王山の南麓に山荘を建てたという。現在の本館2階のバルコニーから、三川が流れる風景を眼下にすることができる。
本館の建物は木骨を見せるハーフティンバー方式など西洋のデザインを取り入れ、緑に包まれて立つその姿は重厚にして優美。また、本館から見る栖霞楼は深い緑の中に白い壁の切立った姿が印象的である。庭園も美しく、睡蓮の咲く池もあり四季それぞれ表情を変える。
加賀正太郎は若き日に欧州へ遊学。イギリスのウィンザー城を訪れた際に眺めたテムズ川の流れと、三川が合流する大山崎の風景が似ていると気に入り、その風景が眺められる天王山の南麓に山荘を建てたという。現在の本館2階のバルコニーから、三川が流れる風景を眼下にすることができる。
本館の建物は木骨を見せるハーフティンバー方式など西洋のデザインを取り入れ、緑に包まれて立つその姿は重厚にして優美。また、本館から見る栖霞楼は深い緑の中に白い壁の切立った姿が印象的である。庭園も美しく、睡蓮の咲く池もあり四季それぞれ表情を変える。

補足情報
*加賀正太郎:1888~1954年。明治~昭和時代の登山家、実業家。日本人としてはじめて4,000m峰のユングフラウ登頂に成功。ヨーロッパの登山用具・装備を日本に紹介。加賀證券(のちに菱光証券に商号変更し三菱UFJ証券に合併)を設立するなど多くの会社経営を行い、証券業、林業、土地開発、ゴルフ場経営、洋蘭業などで成功。1934(昭和9)年、大日本果汁株式会社(現ニッカウヰスキー株式会社)の創設にかかわった。晩年には同社の株を親交があった朝日麦酒株式会社(現アサヒグループホールディングス株式会社)初代社長・山本爲三郎に託した。この縁が、現在のアサヒグループ大山崎山荘美術館へと受け継がれている。この山荘は、建物の他、庭園も含め加賀正太郎自ら設計及びデザインを行ったもの。
関連リンク | アサヒグループ大山崎山荘美術館(WEBサイト) |
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参考文献 |
アサヒグループ大山崎山荘美術館(WEBサイト) 「全国博物館総覧」ぎょうせい 「京都府の歴史散歩 下」山川出版社 |
2025年05月現在
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