笠置寺かさぎでら

JR関西本線笠置駅から徒歩15分。笠置山の山頂近くに立つ真言宗智山派の寺。高さ15mの大きな岩に刻まれた、日本最古最大と言われる「弥勒磨崖仏」を本尊とする。大友皇子または天武天皇の開基と伝えるが、本尊弥勒磨崖仏などから推測すると、奈良時代、東大寺の良弁(ろうべん)*や実忠(じっちゅう)*が参籠したときに、山岳信仰の修行場としての寺として整えられたのではないかという。その後平安末期の末法思想の流行に加え、鎌倉時代解脱(げだつ)上人貞慶(じょうけい)*によって弥勒信仰の中心道場とされたことで寺勢は大いに振るった。しかし1331(元弘元)年後醍醐天皇が京の都から脱出、奈良の東大寺を経て、笠置山に入山し、約1カ月にわたる、鎌倉幕府軍との壮絶な戦いの舞台となる。そのときの兵火で本尊磨崖仏を焼亡、十三重塔など多くの堂宇を失った。現在は行場めぐりの多くの巨石と、正月堂、本坊のほか、俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)*寄進を示す銘を刻む鐘を吊るす鐘楼などがある。
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みどころ

焼損した本尊の磨崖仏の礼堂である本堂・正月堂から行場巡りの道を進むと、良弁・実忠ゆかりの千手窟*、高さ12m、幅7mの岩に高さ約9mのみごとな線刻の虚空蔵菩薩坐像が残る虚空蔵石、胎内くぐり、その先に太鼓石*、ゆるぎ石*など、巨石が点在する。重源ゆかりの鐘を吊るす鐘楼は山門を入って左手先に立つ。
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補足情報

*良弁:689~773年。東大寺初代別当。聖武天皇、行基、インド出身の菩提僊那とともに、四聖(ししょう)と呼ばれる。
*実忠:生没年不詳。良弁に師事して華厳を学んだ。東大寺二月堂修二会の創始者である。
*解脱上人貞慶:1155~1212年。鎌倉初期に法相宗を中興する。興福寺の僧であったが、仏教界の堕落を嫌い28歳で笠置山に入る。末法濁世の社会を救済するには弥勒仏へのひたすらな信仰であるとし、戒律を重んじ南都仏教の復興に努めた。のちに8kmほど西方の海住山寺に移る。
*俊乗坊重源:1121~1206年。東大寺大勧進職として、源平の争乱で焼失した東大寺の復興を果たした。鐘の銘文中に「笠置寺般若台 建久七年(1196)八月十五日大和尚南无阿弥陀仏」とあり、「大和尚南无阿弥陀仏」は重源を指している。
*千手窟:大仏殿建築に使う材木を木津川に流して運ぼうとしたが、岩場の浅瀬が通れない。そこで良弁が千手窟(龍穴)で祈ったところ大雨が降って水かさが増し、無事材木が運べたという。実忠はこの穴から弥勒菩薩の兜率天(とそつてん)に入り、会得した行法が十一面観音悔過(けか)、すなわち二月堂修二会の行法と伝える。
*太鼓石:覆いかぶさる石の丸くはがれている部分の右脇をたたくと、「ポンポン」と鼓のような音がする。
*ゆるぎ石:片手で押すとゆらゆらと動くことからその名がある。元弘の乱の際、敵の上に落とすために設置されたともいう。
関連リンク 笠置寺(WEBサイト)
参考文献 笠置寺(WEBサイト)
笠置町役場商工観光課(WEBサイト)
「皇室ゆかりの地を巡る」双京構想推進検討会議

2025年05月現在

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