成相寺
日本三景の一つ天橋立を見下ろす標高569mの成相山(鼓ヶ岳)の中腹にある。山麓の府中駅から天橋立ケーブルまたはリフトで傘松公園まで登り、成相寺登山バスに乗り継いで7分で着く。西国三十三所観音霊場の第28番札所であり、三十三所中、最北端に位置している。
704(慶雲元)年、文武天皇の勅願により真応上人が開いたと伝わる。「今昔物語集」*1に本尊と寺名の由来に関する説話が記されているほか、「梁塵秘抄」*2などにも記録があり、平安時代には山岳霊場として全国に知られていたと考えられている。寺はもともと現在地よりさらに高い場所にあったが、1400(応永7)年の山崩れで倒壊し、現在地に移転した。現在の本堂*3は1774(安永3)年の再建。現本堂から標高で約70mほど登った地点の旧境内地は国史跡に指定されている。また、境内に2カ所ある展望台からは天橋立を眼下に絶景を楽しめる。
704(慶雲元)年、文武天皇の勅願により真応上人が開いたと伝わる。「今昔物語集」*1に本尊と寺名の由来に関する説話が記されているほか、「梁塵秘抄」*2などにも記録があり、平安時代には山岳霊場として全国に知られていたと考えられている。寺はもともと現在地よりさらに高い場所にあったが、1400(応永7)年の山崩れで倒壊し、現在地に移転した。現在の本堂*3は1774(安永3)年の再建。現本堂から標高で約70mほど登った地点の旧境内地は国史跡に指定されている。また、境内に2カ所ある展望台からは天橋立を眼下に絶景を楽しめる。

みどころ
傘松公園からの登山バスは、本堂下の石段上り口付近まで運行しているが、少し手前の成相寺山門前バス停で下車してもいい。朱塗りの山門には仁王像が安置され、獅子や龍の彫刻が施されている。そこから5分ほど歩くと石段下。本堂まで100段続き、上り始めてすぐ右手には悲しい伝説を秘めた「撞かずの鐘*4」を収める鐘楼が立つ。本堂は豪壮な建物。堂内の厨子内に祀られる本尊の聖観世音菩薩は「身代わり観音」として信仰を集めるが、秘仏であり、開帳は33年に一度。堂内に掲げられている木彫りの「真向(まむき)の龍」は左甚五郎の作と伝承されている。
本堂向かって左手前にある鉄湯船は鎌倉時代に鋳造されたもので、国指定重要文化財。元はこの寺の湯屋の湯船して使われたものだが、現在は手水鉢に転用されている。本堂からもと来た石段を下り切って右手に進むと、大蛇伝説が残る「底なし池」があり、その南に2005(平成17)年に鎌倉時代の様式で再建された五重塔が立つ。秋には周囲の紅葉が美しく、ライトアップも行われる。
五重塔西側の散策道を5分ほど上ると弁天山展望台があり、天橋立や宮津湾を一望できる。成相寺には「成相山パノラマ展望所」も整備されており、本堂から坂道を1kmほど上ったところ、旧境内の先に位置する。標高が高いだけにさらなる絶景を望め、天気がよければ白山連峰も見えるという。
本堂向かって左手前にある鉄湯船は鎌倉時代に鋳造されたもので、国指定重要文化財。元はこの寺の湯屋の湯船して使われたものだが、現在は手水鉢に転用されている。本堂からもと来た石段を下り切って右手に進むと、大蛇伝説が残る「底なし池」があり、その南に2005(平成17)年に鎌倉時代の様式で再建された五重塔が立つ。秋には周囲の紅葉が美しく、ライトアップも行われる。
五重塔西側の散策道を5分ほど上ると弁天山展望台があり、天橋立や宮津湾を一望できる。成相寺には「成相山パノラマ展望所」も整備されており、本堂から坂道を1kmほど上ったところ、旧境内の先に位置する。標高が高いだけにさらなる絶景を望め、天気がよければ白山連峰も見えるという。

補足情報
*1 今昔物語集:平安時代末期の説話集。巻16「丹後国成相寺事」には次のような記事がある。雪に閉じ込められ食べ物がなくなった僧侶が、本尊の観音像に食べ物を恵んでくれるよう祈願すると、狼に食われた猪の肉を見つけることができた。肉食を断じている僧侶としては食べることを迷ったが、夢に童子が現れ、肉を食べて命を助けよと告げた。僧侶は観音のお告げと考え、肉を食べて命を長らえた。雪が消え、里人が登って来てみると、鍋に木くずがのこっており、観音像の腿が削られていることに気が付いた。そこでその木くずを観音像の腿に着けると元に戻ったという。本尊の観音像が身を削って僧侶を助けたことがわかり、本尊は身代わり観音として、願う事が成り合う「成相寺」と称するようになったという。
*2 梁塵秘抄:後白河法皇により平安時代末期に編まれた歌謡集。「霊験所歌六首」のなかで「四方の霊験所は、伊豆の走井、信濃の戸隠、駿河の富士の山、伯耆の大山、丹後の成相とか。土佐の室生と讃岐の志度の道場とこそ聞け。」として、成相寺を有力な霊験所として挙げている。
*3 本堂:五間四方の入母屋造。正面を千鳥破風、軒唐破風で飾っている。
*4 撞かずの鐘:1608(慶長13)の銘がある。鋳造の際、赤ん坊が銅を溶かす坩堝(るつぼ)の中に落ちて亡くなった。完成した鐘を撞くたび、悲しい響きがして、赤ん坊の泣き声のように聞こえるため、寺ではこの鐘を撞かなくなったという。
*2 梁塵秘抄:後白河法皇により平安時代末期に編まれた歌謡集。「霊験所歌六首」のなかで「四方の霊験所は、伊豆の走井、信濃の戸隠、駿河の富士の山、伯耆の大山、丹後の成相とか。土佐の室生と讃岐の志度の道場とこそ聞け。」として、成相寺を有力な霊験所として挙げている。
*3 本堂:五間四方の入母屋造。正面を千鳥破風、軒唐破風で飾っている。
*4 撞かずの鐘:1608(慶長13)の銘がある。鋳造の際、赤ん坊が銅を溶かす坩堝(るつぼ)の中に落ちて亡くなった。完成した鐘を撞くたび、悲しい響きがして、赤ん坊の泣き声のように聞こえるため、寺ではこの鐘を撞かなくなったという。
関連リンク | 成相寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
成相寺(WEBサイト) 西国三十三所札所会「西国」三十三所巡礼の旅(WEBサイト) 文化庁「国指定文化財等」成相寺旧境内(WEBサイト) 芳賀矢一編「攷証今昔物語集 中」大正2-3年 354/553 国立国会図書館デジタルコレクション 高野辰之編「日本歌謡集成 巻2 梁塵秘抄」昭和17年 261/295 国立国会図書館デジタルコレクション |
2025年05月現在
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