出雲大神宮
JR嵯峨野線(山陰本線)亀岡駅から北へ約6km、桜並木の七谷(ななたに)川を渡り、千歳(ちとせ)山を背にして鎮座する。祭神は大国主命と三穂津姫命*の二座。社伝では大国主命がこの地から杵築(出雲)大社*に遷したとされ、709(和銅2)年に初めて社殿を造営したと伝えている。このため「元出雲」ともいわれる。「延喜式」においても名神大社とされ、丹波国一の宮でもあった。室町時代初期に書かれた吉田兼好の「徒然草」236段には、「丹波に出雲と云ふ所あり。大社(おほやしろ)を移して(勧請して)、めでたく造れり。」云々とあり、当時から崇敬を集めていたことがうかがえる。第二次大戦後、それまでの出雲神社から出雲大神宮と社号を改めた。
本殿は足利尊氏により1345(貞和元)年に造営されたものだが、鎌倉期の様式が色濃く残る三間社流造、桧皮葺。中門、回廊など本殿以外の建物は明治から昭和にかけて建てられたものだが、登録有形文化財の指定も多い。社殿の背後にある千歳山は御神体山、御蔭(みかげ)山、千年山とも呼ばれ、神が宿る石の磐座(いわくら)群があり、古くから神域とされ、現在も磐座群は禁足地となっている。一番奥にある国常立尊(くにとこたちのみこと)*が鎮座するという磐座群がある。4月18日には花祭り(鎮花祭)があり、出雲風流花踊り*が華やかに奉納される。
本殿は足利尊氏により1345(貞和元)年に造営されたものだが、鎌倉期の様式が色濃く残る三間社流造、桧皮葺。中門、回廊など本殿以外の建物は明治から昭和にかけて建てられたものだが、登録有形文化財の指定も多い。社殿の背後にある千歳山は御神体山、御蔭(みかげ)山、千年山とも呼ばれ、神が宿る石の磐座(いわくら)群があり、古くから神域とされ、現在も磐座群は禁足地となっている。一番奥にある国常立尊(くにとこたちのみこと)*が鎮座するという磐座群がある。4月18日には花祭り(鎮花祭)があり、出雲風流花踊り*が華やかに奉納される。

みどころ
「丹波國一之宮 出雲大神宮」の石碑*を見て鳥居を入ると、右手に手水舎、真名井の泉、正面に拝殿*、中門の先に回廊に囲まれた本殿が鎮座する。社殿の右手から裏側に回ると、森の中に磐座群*や上の社、御蔭の滝などを巡る小道がある。最奥の国常立尊の宿る磐座群へ参拝するには、社務所で受付手続きののちタスキを受け取って入山する。

補足情報
*三穂津姫命:高皇産霊(たかみむすび)神の娘、大国主命の后。高天原から稲穂をもたらした農業の神、子孫繁栄の神。
*杵築(出雲)大社:「延喜式」には杵築大社とあり、1871(明治4)年に出雲大社と改名した。
*国常立尊:「日本書紀」では天地開闢に際し、最初に現れた神。国土の永遠の安泰を守るという。
*出雲風流花踊り:羯鼓(かっこ)と長い房の付いたバチを手に持った踊り手12名が唄方・笛方をバックに松・桃・菖蒲など各月を表す花笠をかぶって軽快に飛び跳ねる。
*「丹波國一之宮 出雲大神宮」の石碑:字は出雲大社第84代千家尊祐。少し手前にある「国幣中社 出雲神社」の石碑の字は、出雲大社第80代宮司千家尊福のもの。
*拝殿:舞殿形式の吹き放ちの建物で、神楽の奉納などもある。1878(明治11)年築。登録有形文化財。
*磐座群:本殿のすぐ後ろに大きな磐座をはじめ、あちこちに磐座がある。
*杵築(出雲)大社:「延喜式」には杵築大社とあり、1871(明治4)年に出雲大社と改名した。
*国常立尊:「日本書紀」では天地開闢に際し、最初に現れた神。国土の永遠の安泰を守るという。
*出雲風流花踊り:羯鼓(かっこ)と長い房の付いたバチを手に持った踊り手12名が唄方・笛方をバックに松・桃・菖蒲など各月を表す花笠をかぶって軽快に飛び跳ねる。
*「丹波國一之宮 出雲大神宮」の石碑:字は出雲大社第84代千家尊祐。少し手前にある「国幣中社 出雲神社」の石碑の字は、出雲大社第80代宮司千家尊福のもの。
*拝殿:舞殿形式の吹き放ちの建物で、神楽の奉納などもある。1878(明治11)年築。登録有形文化財。
*磐座群:本殿のすぐ後ろに大きな磐座をはじめ、あちこちに磐座がある。
関連リンク | 出雲大神宮(WEBサイト) |
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参考文献 |
出雲大神宮(WEBサイト) 「精選版 日本国語大辞典」小学館 高木武「徒然草 新釈」大正4年 190/203 国立国会図書館デジタルコレクション 「出雲大神宮」パンフレット 亀岡市文化資料館データベース「出雲風流花踊り」「極楽寺十一面観音像」 |
2025年05月現在
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