三室戸寺
京阪宇治線三室戸駅から東1kmの明星山の山裾にある。杉木立の茂る参道を上ると、本堂、阿弥陀堂などが立ち、本堂東方に三重塔が望まれる。770(宝亀元)年に金銅二臂(ひ)千手観音菩薩*を本尊に開創されたと伝え、皇室の帰依も篤かった。西国三十三所第10番札所で、霊宝殿には平安時代の古仏も残る。本堂左上には室町時代の社殿をもつ十八神社が鎮座。ツツジやアジサイ、ハスなどの花の寺としても知られている。
寺の東方約1.5kmの喜撰山(きせんやま)は喜撰法師*の庵跡があったところといわれ、周辺の山並みを総称して宇治山と呼ばれる。
寺の東方約1.5kmの喜撰山(きせんやま)は喜撰法師*の庵跡があったところといわれ、周辺の山並みを総称して宇治山と呼ばれる。

みどころ
本堂、阿弥陀堂、三重塔*はいずれも江戸時代の再建。本堂は1805(文化2)年の建立、正面に軒唐破風をもつ重層入母屋造の重厚な建築。阿弥陀三尊像*、清凉寺式釈迦如来立像*など5体の重要文化財の仏像が霊宝殿に安置されている。十八神社は本殿も室町時代の建築で、重要文化財。境内には「源氏物語」宇治十帖にちなむ「浮舟之古蹟*」の碑が立つ。参道横に中根金作がつくった池泉と枯山水の庭があり、アジサイをはじめ、しだれ梅、ツツジ、シャクナゲが植栽されている。本堂前にはハス鉢が並び、紅葉は西行の歌*にも詠まれている。

補足情報
*金銅二臂千手観音菩薩:光仁天皇の命で、毎夜御所を照らす霊光の探索に出かけると、宇治川支流の滝壺に輝く千手観音を発見、水中からこの二臂観音像を見つけたという。そのため2本の手だが千手観音とされる。秘仏。
*喜撰法師:六歌仙の一人。百人一首の「我が庵(いほ)は都のたつみしかたつみしかぞすむ 世をうぢ山と人はいふ也」で知られる。
*三重塔:1704(宝永元)年に兵庫県の高蔵寺に建てられた塔を移築したもの。高さ約16m。
*阿弥陀三尊像:阿弥陀如来像は寄木造のおだやかな姿で、平安末の作とみられる。脇侍の観音・勢至菩薩は大和座り(跪坐、つま先を立てた正座)をしており、来迎する様を表している。この観音像は衣の裾から足が覗いていることで知られる。
*清凉寺式釈迦如来立像:京都・清凉寺の本尊釈迦如来像の模刻。釈迦生前の姿を写したという縄目状の頭髪や、同心円状の襞の多い衣を刻む独特の像。
*浮舟之古蹟:古蹟は江戸時代に「宇治十帖」の物語に合わせて選定された場所。浮舟の碑はもとは宇治川に近い菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の墓のあたりの浮舟社にあったが、三室戸寺に移された。
*西行の歌:「暮れはつる秋のかたみにしばし見ん 紅葉散らすな御室戸の山」。古くは三室戸寺開創にまつわる観音の霊験を讃えて「御室戸」と表記された。
*喜撰法師:六歌仙の一人。百人一首の「我が庵(いほ)は都のたつみしかたつみしかぞすむ 世をうぢ山と人はいふ也」で知られる。
*三重塔:1704(宝永元)年に兵庫県の高蔵寺に建てられた塔を移築したもの。高さ約16m。
*阿弥陀三尊像:阿弥陀如来像は寄木造のおだやかな姿で、平安末の作とみられる。脇侍の観音・勢至菩薩は大和座り(跪坐、つま先を立てた正座)をしており、来迎する様を表している。この観音像は衣の裾から足が覗いていることで知られる。
*清凉寺式釈迦如来立像:京都・清凉寺の本尊釈迦如来像の模刻。釈迦生前の姿を写したという縄目状の頭髪や、同心円状の襞の多い衣を刻む独特の像。
*浮舟之古蹟:古蹟は江戸時代に「宇治十帖」の物語に合わせて選定された場所。浮舟の碑はもとは宇治川に近い菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の墓のあたりの浮舟社にあったが、三室戸寺に移された。
*西行の歌:「暮れはつる秋のかたみにしばし見ん 紅葉散らすな御室戸の山」。古くは三室戸寺開創にまつわる観音の霊験を讃えて「御室戸」と表記された。
関連リンク | 三室戸寺(WEBサイト) |
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参考文献 | 三室戸寺(WEBサイト) |
2025年05月現在
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