長岡天満宮ながおかてんまんぐう

阪急長岡天神駅から徒歩10分。菅原道真公が大宰府に左遷される際に名残を惜しんだ地といわれ、のち祠を建て公御自作の木像を祀ったのに始まる。戦乱などで衰退したが、1498(明応7)年に再興されたといい、1780 (安永9)年に刊行された「都名所図会」には、天満宮が描かれている。もとは開田天満宮と称し、現社名は江戸時代になってから。社地はもともと33万余m2にわたっていたが、明治維新に際し約7万m2となる。現社殿は1941(昭和16)年、平安神宮の旧御本殿を拝領*移築した。伊東忠太*の設計で、三間社流造、檜皮葺き、素木の御本殿は、丈が高く美しい。拝殿は1998(平成10)年に増改築し、素木だった柱も朱塗りとし増改築した。
 西山を借景とし、天満宮の前庭として社観を高める八条ヶ池は、1638(寛永15)年、このあたりを所領としていた八条宮智忠親王*によってため池を兼ねて築造された。その中堤を彩るキリシマツツジが見事。
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みどころ

高さ10m近い石鳥居をくぐると広大な八条ヶ池が広がり、池を二分する中堤が参道となっている。4月中旬から下旬、中堤の両サイド約70mにわたり、樹高約2.5m、樹齢約170年のキリシマツツジが真紅に咲き誇る。中堤北側の池には、中之島に向かってジグザグの橋が架けられ、アヤメ、花ショウブ、カキツバタ、西湖紅蓮などが、次々と咲く。御本殿へ向かう途中の錦景苑*の紅葉も見逃せない。手水舎*は1913(大正2)年に建てられた旧祝詞舎を移したもの。拝殿向かって北側の白梅殿(絵馬殿)には江戸時代の大きな絵馬も多い。池畔の錦水亭はタケノコ料理の専門店で知られる。
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補足情報

*平安神宮の旧御本殿を拝領:長岡天満宮は社殿が老朽化し、また規模も小さかったため、1940(昭和15)年に平安神宮が新たに孝明天皇を合祀するため御本殿を一新するに際し、長岡が平安京と同じく桓武天皇の都があった地ということから、旧御本殿の譲渡を誓願した。このとき祝詞舎、透塀も平安神宮から移された。
*伊東忠太:日本建築史の祖。東京の築地本願寺、湯島聖堂、沖縄の首里城などを設計し、法隆寺の柱をエンタシスと説く「法隆寺建築論」を発表、法隆寺の世界的価値を高めた。
*八条宮智忠親王:桂離宮を造られた智仁親王の子。智仁親王の薨去後、桂離宮を増築、整備した。
*錦景苑:2007(平成19)年に完成した回遊式庭園。紅葉が多く、道真公の「このたびは幣(ぬさ)もとりあへず~」を刻んだ貴船石の歌碑が立つ。
*手水舎:祝詞舎として建てられていたため、唐破風の屋根をもち、細部まで丁寧に造られている。
関連リンク 長岡天満宮(WEBサイト)
参考文献 長岡天満宮(WEBサイト)
長岡京市(WEBサイト)

2025年05月現在

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