御香宮神社
京阪本線伏見桃山駅から徒歩3分、または近鉄京都線桃山御陵前駅から徒歩2分。神功皇后を主祭神とし、仲哀天皇、応神天皇ほか6柱の神をまつる。神社の創建は古く、「延喜式」の式内社の御諸(みもろ)神社に当てる説もある。名前の由来*は平安時代の862(貞観4)年に境内からよい香りの清泉が湧き出し、これを飲んだ病人の病が癒えたことから、清和天皇より社殿を修理するよう勅が下され、以降、御香宮と呼ばれたとする。中世以降も伏見九郷の鎮守社として崇拝された。徳川家康が伏見滞在中、2代将軍秀忠の娘千姫が生まれたことから、御香宮神社は城下の守護神としてあがめられるとともに、徳川家の産土神としても崇敬された。そのため、現存する多くの建物は徳川家からの寄進を受けている。鳥羽・伏見の戦いでは薩摩藩を中心とする新政府軍の本陣として使われた。
毎年秋に行われる神幸祭(しんこうさい)*は、伏見九郷の総鎮守の祭礼で、祭神神功皇后が一年に一度、氏子区域内を巡幸する伏見地区で最大のお祭り。古来「伏見祭」とも呼ばれ、洛南随一の大祭として知られている。
毎年秋に行われる神幸祭(しんこうさい)*は、伏見九郷の総鎮守の祭礼で、祭神神功皇后が一年に一度、氏子区域内を巡幸する伏見地区で最大のお祭り。古来「伏見祭」とも呼ばれ、洛南随一の大祭として知られている。

みどころ
境内は樹木におおわれ、付近の喧噪とうってかわって静かである。五間社流造の大きな本殿*を中心に、桃山時代建築の特色を示す表門*や拝殿*、能舞台*、貴重なものが多い絵馬堂などの建物が並び、芭蕉の句碑*や伏見義民の碑*、伏見戦跡の碑*も建てられている。社務所には小堀遠州ゆかりの石庭がある。
本殿の手前にある湧水は石井(いわい)の御香水として伏見の七名水に数えられ、環境省の名水100選に選ばれている。御香水の人気は高く、容器持参の人が多くやって来る。伏見の酒は御香水と同じ水系の水でつくられる。
本殿の手前にある湧水は石井(いわい)の御香水として伏見の七名水に数えられ、環境省の名水100選に選ばれている。御香水の人気は高く、容器持参の人が多くやって来る。伏見の酒は御香水と同じ水系の水でつくられる。

補足情報
*名前の由来:筑前の国香椎の明神(神功皇后の廟)を勧請し、御香椎の宮の下の字を略して御香の宮としたとする説もある。
*神幸祭:10月上旬の9日間にわたって行われる。初日と8日目の夜に、お迎え提灯として、各町内より趣向を凝らした大小の花傘が神社に参拝する「花傘総参宮」が有名。別名「花傘まつり」とも呼ばれ、室町時代「風流笠(ふりゅうがさ)」の伝統を今に伝える。最終日には3基の神輿が巡幸。猿田彦や雌雄獅子、武者などが行列する。祭り期間中には、ふだん非公開の日本一重い神輿「千姫神輿」も特別公開され、境内には多数の露店が出店。参拝者で大いに賑わう。
*本殿:1605(慶長10)年に徳川家康が寄進したと伝えられる。正面中央に向拝をつける大型の本殿で、蟇股などに緻密な彩色を施している。重要文化財。
*表門:1622(元和8)年、水戸藩祖の徳川頼房が寄進した豪壮な門で、伏見城の大手門の遺構といわれる。豪華な彫刻がある4つの大きな蟇股は、中国の「二十四孝」の話に素材をとったもの。重要文化財。
*拝殿:1625(寛永2)年、紀州藩祖徳川頼宣の寄進。伏見城の車寄せを移築したものと伝える。正面中央間を通路とする割拝殿の形式で、細部には極彩色が施されている。
*能舞台:もとは豊臣秀吉が移築した能舞台があったが、大破したため、1708(宝永5)年に取り壊された。現在の建物は明治時代の再建。毎年秋には約600年の歴史があるという神能「蝋燭能」が奉納され、ろうそくの淡い光が灯る幻想的な雰囲気の中で、能や狂言、仕舞が演じられる。
*芭蕉の句碑:「梅が香にのっと日の出る山路かな」の句が刻まれている。
*伏見義民の碑:伏見奉行を務めた遠州流茶道の祖、小堀政一から6代目の政方が、町民に重税・重罰を課して暴虐がその極に達したことから、町年寄りら同志7人が幕府に直訴。政方らは罷免されるが、7人も病死、牢死した。彼らの義挙を後世に伝えるため、1887(明治20)年、百年祭に記念碑が建設された。題字揮毫は三条実美、碑文は勝海舟の撰による。
*伏見戦跡の碑:この地が、幕末の鳥羽・伏見の戦いの戦跡であることを示す。揮毫は総理大臣佐藤栄作。
*神幸祭:10月上旬の9日間にわたって行われる。初日と8日目の夜に、お迎え提灯として、各町内より趣向を凝らした大小の花傘が神社に参拝する「花傘総参宮」が有名。別名「花傘まつり」とも呼ばれ、室町時代「風流笠(ふりゅうがさ)」の伝統を今に伝える。最終日には3基の神輿が巡幸。猿田彦や雌雄獅子、武者などが行列する。祭り期間中には、ふだん非公開の日本一重い神輿「千姫神輿」も特別公開され、境内には多数の露店が出店。参拝者で大いに賑わう。
*本殿:1605(慶長10)年に徳川家康が寄進したと伝えられる。正面中央に向拝をつける大型の本殿で、蟇股などに緻密な彩色を施している。重要文化財。
*表門:1622(元和8)年、水戸藩祖の徳川頼房が寄進した豪壮な門で、伏見城の大手門の遺構といわれる。豪華な彫刻がある4つの大きな蟇股は、中国の「二十四孝」の話に素材をとったもの。重要文化財。
*拝殿:1625(寛永2)年、紀州藩祖徳川頼宣の寄進。伏見城の車寄せを移築したものと伝える。正面中央間を通路とする割拝殿の形式で、細部には極彩色が施されている。
*能舞台:もとは豊臣秀吉が移築した能舞台があったが、大破したため、1708(宝永5)年に取り壊された。現在の建物は明治時代の再建。毎年秋には約600年の歴史があるという神能「蝋燭能」が奉納され、ろうそくの淡い光が灯る幻想的な雰囲気の中で、能や狂言、仕舞が演じられる。
*芭蕉の句碑:「梅が香にのっと日の出る山路かな」の句が刻まれている。
*伏見義民の碑:伏見奉行を務めた遠州流茶道の祖、小堀政一から6代目の政方が、町民に重税・重罰を課して暴虐がその極に達したことから、町年寄りら同志7人が幕府に直訴。政方らは罷免されるが、7人も病死、牢死した。彼らの義挙を後世に伝えるため、1887(明治20)年、百年祭に記念碑が建設された。題字揮毫は三条実美、碑文は勝海舟の撰による。
*伏見戦跡の碑:この地が、幕末の鳥羽・伏見の戦いの戦跡であることを示す。揮毫は総理大臣佐藤栄作。
関連リンク | 御香宮神社(WEBサイト) |
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参考文献 |
御香宮神社(WEBサイト) 「京都府の歴史散歩 中」山川出版社 |
2025年05月現在
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