等持院とうじいん

京福電鉄北野線等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅から北へ400m、立命館大学衣笠キャンパスの南にある。足利氏の菩提寺として十刹*の第一に挙げられた名刹である。お椀を伏せたような衣笠山を正面に見る境内の奥に土塀をめぐらし、方丈*・庫裏・書院・霊光殿*が禅寺らしいたたずまいをみせている。庭園・茶室*も、本院の魅力を引き上げている。
 1341(暦応4)年、足利尊氏が夢窓国師(夢窓疎石)を開山に創建。当時は、三条坊門殿という幕府の地にあった等持寺の別院・北等持寺とも称した。1358(延文3)年に足利尊氏が病没すると、北等持寺は尊氏の墓所となり、法名により等持院と改められた。のちに等持寺もこちらに移され、足利将軍家歴代の菩提寺として深い帰依を受けた。応仁の乱などの戦乱や火災に見舞われる度に再建・復興を重ね、現在の方丈(本堂)は妙心寺塔頭海福院から移建したもので、すぐれた襖絵や杉戸が多い。当院の入り口付近に「等持院撮影所*」の説明板と「マキノ省三先生像」が立つ。
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みどころ

山門から庫裏に入ると、大きなダルマが描かれた衝立が目に入る。これは天龍寺派の元管長である関牧翁老師筆の祖師像で、一度見たら忘れられない、太い筆のタッチが印象的。霊光殿は、足利尊氏が信仰していた利運地蔵尊を本尊として、達磨大師と夢想国師とを左右に、足利の歴代将軍像(5代と14代の像を除く)が徳川家康の像と共に両側に安置されている。
 方丈の北には夢窓国師の作とも伝わる西庭が広がる。芙蓉池を中心とする西庭は池周辺のサツキの刈込みが美しい。近年補修され、衣笠山を借景にして傾斜を利用し、中島に樹木、枯滝組を配し、石橋を架け、小ぢんまりとした庭ながらも優美さにあふれる。心字池を主とする東庭は、幽すいの感がある。
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補足情報

*十刹:五山制度にもとづき、五山の次におかれた10寺をいう。
*方丈:1616(元和2)年、福島正則が妙心寺塔頭海福院に建立し、1812(文政9)年に等持院に移築された古建築。襖絵は狩野興以(こうい)の作。年1回の寺宝展で公開される。方丈北の中央に尊氏の墓である宝筐印塔が立つ。
*茶室:西庭の北の小高いところにある茶室、清漣亭である。この二畳台目の茶室は、上段一畳を貴人床とし、眼下には芙蓉池を眺めることができる。茶室の前に司馬温公形という手水鉢がある。
*等持院映画撮影所:映画監督牧野省三が、子供たちが健全に育つよう教育映画製作を当地で始めた。後に、本格的な時代劇を製作することになった。ここには1921~1932(大正10~昭和7)年まで撮影所があった。
関連リンク 等持院(WEBサイト)
参考文献 等持院(WEBサイト)
「京都府の歴史散歩 上」山川出版社
資料「等持院」

2025年05月現在

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