豊国神社
市バス博物館三十三間堂前から徒歩5分。豊臣秀吉を祀る神社である。秀吉は1598(慶長3)年に亡くなり、東山・阿弥陀ヶ峯の頂に葬られた。その翌年、山の中腹に豊国神社が創建された。社殿は壮麗を極めたが、1615(慶長20)年の大坂夏の陣で豊臣氏が滅ぶと、徳川家康の命で廃絶。明治時代になって天皇の命で再興が決まり、1880(明治13)年、方広寺大仏殿*跡地の現在地に社殿が再建された。
参道正面に立つ壮麗な唐門は伏見城の遺構と伝わり、国宝に指定されている。門をくぐると拝殿、本殿、秀吉夫人の北政所を祀る摂社・貞照神社などが立つ。
参道正面に立つ壮麗な唐門は伏見城の遺構と伝わり、国宝に指定されている。門をくぐると拝殿、本殿、秀吉夫人の北政所を祀る摂社・貞照神社などが立つ。

みどころ
入口でいきなり、大きくきらびやかな唐門に出合う。明治の再興時に南禅寺金地院から移されたもので、もとは伏見城の門であったと伝わる。いたるところに豪華絢爛な彫刻や飾り金具を施した唐門は、桃山文化を代表する建築といわれるが、十分に納得しうなずける。唐門の左右に立つ8基の石灯籠は、豊臣恩顧の大名が奉納したもの。阿弥陀ヶ峯にあったものを再建時に移した。境内南側にある宝物館は、桃山時代の「豊国祭礼図屏風」(重要文化財)をはじめ、秀吉の遺品、豊臣家ゆかりの資料などを収蔵、展示している。
神社の北隣には方広寺があり、巨大な梵鐘が今に残る。この鐘の銘文中の「国家安康」「君臣豊楽」の文字に徳川家康が言いがかりをつけて、大坂の陣が起こり、豊臣方が敗れ、家康の天下になっていく。ちょっとしたことで歴史は大きく転換してしまう。世のはかなさも感じる。このようなことにも想いを馳せながら、豊国神社周辺を歩いてみるのもどうだろうか。
神社の北隣には方広寺があり、巨大な梵鐘が今に残る。この鐘の銘文中の「国家安康」「君臣豊楽」の文字に徳川家康が言いがかりをつけて、大坂の陣が起こり、豊臣方が敗れ、家康の天下になっていく。ちょっとしたことで歴史は大きく転換してしまう。世のはかなさも感じる。このようなことにも想いを馳せながら、豊国神社周辺を歩いてみるのもどうだろうか。

補足情報
*方広寺大仏殿:豊臣秀吉の発願による大仏を安置する寺として1595(文緑4)年に完成。大仏は高さ約19m、大仏殿は桁行約88m、梁行約54m、高さ約49mの巨大なものだった。しかし翌年の大地震でともに大破。その後、再興と倒壊を繰り返し、1798(寛政10)年に雷火で焼失した。
関連リンク | 豊国神社(WEBサイト) |
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参考文献 |
豊国神社(WEBサイト) 京都市観光協会 京都Navi(WEBサイト) 京都十六社朱印めぐり(WEBサイト) |
2025年05月現在
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