霊鑑寺
市バス「真如堂前」「錦林車庫前」下車、徒歩約7分。「哲学の道」のほぼ中央を東に入ったところにある。1654(承応3)年、御水尾天皇の皇女・多利宮を開基として創建。1890(明治23)年まで皇女が代々住持を務めた格式の高い尼門跡寺院である。「谷の御所」、「鹿ヶ谷比丘尼御所」とも呼ばれた。もとは、後陽成天皇の典侍・持明院基子の屋敷であったところを、後水尾天皇が基子の遺志を継ぎ、寺として創建した。はじめ、現在地の南の川沿いにあったが、1687(貞享4)年、後西天皇の旧殿を賜ったのを期に、現在地に移る。書院と玄関は後西天皇の院御所の建物を移したもので、本堂は徳川11代将軍・家斉の寄進により1803(享和3)年に建てられた。
代々皇女が住持しただけに、皇室を通じての寺宝が多く、ことに御所人形*は200点に及ぶ。庭内には後水尾天皇遣愛の銘椿「日光(じっこう)椿」(京都市指定天然記念物)をはじめ、100種類以上の珍しい椿が咲く「椿の寺」として知られる。
代々皇女が住持しただけに、皇室を通じての寺宝が多く、ことに御所人形*は200点に及ぶ。庭内には後水尾天皇遣愛の銘椿「日光(じっこう)椿」(京都市指定天然記念物)をはじめ、100種類以上の珍しい椿が咲く「椿の寺」として知られる。

みどころ
庭園には後水尾天皇遺愛の銘椿「日光椿」をはじめさまざまな種類の椿が咲き誇る。書院近くの「月光(がっこう)」は、日光が濃い朱紅色の唐子咲きの中心に同じ色の雌しべが突き出しているのに対し、中心の雌しべが白色で鮮やかである。そのほか数々の名椿が植えられているので、季節になると庭内は椿の香りでいっぱいになる。紅葉の名所でもある。
書院の前には、江戸初期に作られた立石を多く使った石組を特徴とする枯山水庭園が広がる。杉苔が地面をおおう。書院から一段高いところにある方形造の本堂にかけての山崖に、石組や刈込みが配されている。後西天皇の院御所を移築した書院は、狩野永徳や円山応挙などの絵師による襖絵が内部を飾る。本尊の如意輪観世音菩薩像は、岩の上に座して、寺名に関連する鏡(霊鑑)を持っている。
通常は非公開だが、3月下旬~4月上旬の椿開花期と11月下旬に特別公開される(拝観期間は年によって異なる)。
書院の前には、江戸初期に作られた立石を多く使った石組を特徴とする枯山水庭園が広がる。杉苔が地面をおおう。書院から一段高いところにある方形造の本堂にかけての山崖に、石組や刈込みが配されている。後西天皇の院御所を移築した書院は、狩野永徳や円山応挙などの絵師による襖絵が内部を飾る。本尊の如意輪観世音菩薩像は、岩の上に座して、寺名に関連する鏡(霊鑑)を持っている。
通常は非公開だが、3月下旬~4月上旬の椿開花期と11月下旬に特別公開される(拝観期間は年によって異なる)。

補足情報
*御所人形:幼児の姿を理想化した、頭の大きな人形で、日本人形の中で最も優れた造形美の極致とされている。 江戸時代中期頃より、御所で愛玩および贈答用に使われていたことから、「御所人形(ごしょにんぎょう)」と呼ばれている。桐の木でつくられている。寺に残る御所人形は、幼くして入寺した皇女にと、皇室から下賜されたもの。
関連リンク | 霊鑑寺(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 |
霊鑑寺(WEBサイト) 「古寺歩きの愉しみ」川端洋之 2009 淡交社 |
2025年06月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。