善峯寺
西国三十三所観音霊場の第20番札所。徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院*ゆかりの寺としても知られる。京都西山の釈迦岳の中腹にあり、JR京都線向日町駅から車で約20分。縁起によれば、1029(長元2)年、恵心僧都源信の高弟・源算が創建。1034(長元7)年には後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号を賜った。1042(長久3)年、後朱雀天皇の勅命で洛東鷲尾寺の千手観音像を遷して本尊とし、先に源算が祀っていた観音像は脇本尊とされた。1192(建久3)年、後鳥羽天皇より「善峯寺」の宸額が下賜された。
鎌倉時代以降、後鳥羽天皇の皇子をはじめ青蓮院門跡の法親王が住山し、室町時代には堂舎僧坊は52を数えたが、応仁・文明の乱によって大半を焼失。江戸時代、桂昌院の寄進によって復興を遂げた。観音堂をはじめ薬師堂、経堂、鐘楼など現在の建物の多くはこのときのもの。山腹に広がる約10万m2の境内は、回遊式庭園のように設計されており、諸堂を巡りながら、四季折々の花や紅葉、京都市内の眺望を楽しめる。
多数の什物も受け継がれており、境内の文殊寺宝館には仏像・絵画・書跡など約300点の文化財を収蔵。桂昌院ゆかりの品も多く、不定期で一部が公開される。
鎌倉時代以降、後鳥羽天皇の皇子をはじめ青蓮院門跡の法親王が住山し、室町時代には堂舎僧坊は52を数えたが、応仁・文明の乱によって大半を焼失。江戸時代、桂昌院の寄進によって復興を遂げた。観音堂をはじめ薬師堂、経堂、鐘楼など現在の建物の多くはこのときのもの。山腹に広がる約10万m2の境内は、回遊式庭園のように設計されており、諸堂を巡りながら、四季折々の花や紅葉、京都市内の眺望を楽しめる。
多数の什物も受け継がれており、境内の文殊寺宝館には仏像・絵画・書跡など約300点の文化財を収蔵。桂昌院ゆかりの品も多く、不定期で一部が公開される。

みどころ
入山受付である山門*は、「善峯寺」の額を掲げた豪壮な楼門。文字は後鳥羽天皇の宸筆を写したものといい、楼下の金剛力士像は源頼朝寄進、運慶の作と伝わる。門をくぐり正面の石段を上ると、桂昌院の寄進で再建された本堂の観音堂*。本尊の千手観音像は秘仏となっている。さらに右手の石段を上ると、1621(元和7)年創建の多宝塔*があり、その前に有名な「遊龍の松」が枝を広げている。この松は国天然記念物に指定されている五葉松で樹齢600年以上。主幹の周囲約1.8m、高さわずか2m余りであるが、横枝が北に約12m、西に約25mと、両手を広げたように低く伸びている。
松をみながら北へ進むと、奥に開山堂、西に桂昌院廟*があり、西方の一段と高いところに釈迦堂*が立つ。釈迦堂を過ぎると奥の院となる。薬師堂*などがあり、奥の院をはじめ境内各所からは京都市内を見渡せる。善峯寺は四季折々の花が美しいことでも知られ、春から秋にかけて桜、ボタン、サツキ、アジサイ、秋明菊などが咲き、紅葉も素晴らしい。
松をみながら北へ進むと、奥に開山堂、西に桂昌院廟*があり、西方の一段と高いところに釈迦堂*が立つ。釈迦堂を過ぎると奥の院となる。薬師堂*などがあり、奥の院をはじめ境内各所からは京都市内を見渡せる。善峯寺は四季折々の花が美しいことでも知られ、春から秋にかけて桜、ボタン、サツキ、アジサイ、秋明菊などが咲き、紅葉も素晴らしい。

補足情報
*桂昌院:1627~1705年。京都の生まれ。生家は八百屋ともいわれるが、江戸城に入って徳川3代将軍家光の目に留まり、綱吉を産んだ。仏教に深く帰依し、京都や奈良をはじめ多くの寺院の再興に尽力した。
*山門:1716(正徳6)年建立。三間一戸の楼門。かつて楼上に安置されていた本尊の文殊菩薩と脇侍二天は現在、文殊寺宝館に奉安されている。
*観音堂:1692(元禄5)年建立。本尊千手観音は仁弘法師作、脇本尊の千手観音は源算上人作という。
*多宝塔:重要文化財。1621(元和7)年建立。
*桂昌院廟:1705(宝永2)年建立。当山復興に努めた桂昌院の遺髪を納める。
*釈迦堂:1885(明治18)年建立。本尊は源算上人の自刻とされる釈迦如来像。もとは釈迦岳頂上に祀られていたが、明治時代に現在地に遷した際に奇瑞があり、腰痛・神経痛に霊験あらたかと信仰されている。
*薬師堂:1701(元禄14)年建立。本尊は桂昌院の父が篤く信仰し、桂昌院の出世をもたらしたとの由緒から「出世薬師如来」として信仰されている。
*山門:1716(正徳6)年建立。三間一戸の楼門。かつて楼上に安置されていた本尊の文殊菩薩と脇侍二天は現在、文殊寺宝館に奉安されている。
*観音堂:1692(元禄5)年建立。本尊千手観音は仁弘法師作、脇本尊の千手観音は源算上人作という。
*多宝塔:重要文化財。1621(元和7)年建立。
*桂昌院廟:1705(宝永2)年建立。当山復興に努めた桂昌院の遺髪を納める。
*釈迦堂:1885(明治18)年建立。本尊は源算上人の自刻とされる釈迦如来像。もとは釈迦岳頂上に祀られていたが、明治時代に現在地に遷した際に奇瑞があり、腰痛・神経痛に霊験あらたかと信仰されている。
*薬師堂:1701(元禄14)年建立。本尊は桂昌院の父が篤く信仰し、桂昌院の出世をもたらしたとの由緒から「出世薬師如来」として信仰されている。
関連リンク | 善峯寺(WEBサイト) |
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参考文献 | 善峯寺(WEBサイト) |
2025年05月現在
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