松尾祭
四条通の西端、阪急嵐山線松尾大社駅のすぐ西にある松尾大社の祭礼。山から神を迎え、もてなしてその霊威を高め、人々を災厄から守ってくれるよう祈りが込められている。「松尾の国祭」とよばれ、貞観年間(859~877年)に始まるともいわれ、神幸祭(おいで)と還幸祭(おかえり)からなる。神輿渡御の祭礼は、古くは3月中卯日(なかのうのひ)に出御、4月上酉日(かみのとりのひ)*に祭礼が行われたが、明治以降は4月下卯日に出御、5月上酉日に還御に変更。1961(昭和36)年からは4月20日以後の第1日曜に出御、21日目の日曜に還御となるが、船渡御は2年後から20年の中断を経て1983(昭和58)年に復活した。
神幸祭には大宮社、月読社など松尾七社*の神輿(月読社は唐櫃*)が、本殿の祭神の分霊を遷して拝殿を3周(拝殿廻し)後、松尾・桂の里を巡幸して南下、桂離宮の東北、桂大橋の少し上流から桂川を船で左岸に渡り、堤防下で祭典後、4基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、2基の神輿は西京極の川勝寺三宮社と郡衣手社の御旅所に向かい、21日間滞在する。出御・還御とも、吉祥院地区の2組の稚児が翁・嫗の御面を付けた榊の大枝(榊御面)を持って、神輿を先導する。
還幸祭には、3カ所の御旅所から神輿と唐櫃が西寺(さいじ)跡*の「旭の杜」に集合、 祭典後、ほど近い朱雀御旅所でも祭典、七条通を西に進み、旧街道を経て松尾橋を渡り還御。この還幸祭が松尾祭のメインで、地元では、単に「おまつり」といえば還幸祭を指す。還幸祭には下津林地区から選ばれた稚児も「松尾使」として奉仕する。
なお、還御の際、本社社殿、各御旅所の本殿、神輿、神職の冠・烏帽子に葵と桂を飾るため、賀茂社と同じく「葵祭」「松尾の葵祭」ともよばれた。
神幸祭には大宮社、月読社など松尾七社*の神輿(月読社は唐櫃*)が、本殿の祭神の分霊を遷して拝殿を3周(拝殿廻し)後、松尾・桂の里を巡幸して南下、桂離宮の東北、桂大橋の少し上流から桂川を船で左岸に渡り、堤防下で祭典後、4基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、2基の神輿は西京極の川勝寺三宮社と郡衣手社の御旅所に向かい、21日間滞在する。出御・還御とも、吉祥院地区の2組の稚児が翁・嫗の御面を付けた榊の大枝(榊御面)を持って、神輿を先導する。
還幸祭には、3カ所の御旅所から神輿と唐櫃が西寺(さいじ)跡*の「旭の杜」に集合、 祭典後、ほど近い朱雀御旅所でも祭典、七条通を西に進み、旧街道を経て松尾橋を渡り還御。この還幸祭が松尾祭のメインで、地元では、単に「おまつり」といえば還幸祭を指す。還幸祭には下津林地区から選ばれた稚児も「松尾使」として奉仕する。
なお、還御の際、本社社殿、各御旅所の本殿、神輿、神職の冠・烏帽子に葵と桂を飾るため、賀茂社と同じく「葵祭」「松尾の葵祭」ともよばれた。

みどころ
分霊を遷して拝殿廻しを終えた神輿は11時頃にホイット、ホイットの掛け声とともに本社を出て、30分ほどで桂川の船渡御の地に到着すると順次川渡し。神幸祭最大の見どころである。川に神輿を舁き入れ、その下に駕輿丁船(かよちょうぶね)*を差し入れて乗せ、桂川を左岸(東岸)に渡る。それぞれの神輿の屋根を覆う真っ赤な御衣(おきぬ)が美しい。桂大橋が最高の観覧場所となる。七社の渡河が終わると堤防下河川敷で古例の団子神饌を献じて祭典を催した後、神輿と唐櫃は15時頃に各御旅所へ出発。西七条御旅所着17時頃、川勝寺三宮社着16時30分頃、郡衣手社着18時頃。
還幸祭の御旅所出発は西七条7時45分頃、川勝寺三宮社8時頃、郡衣手社9時頃。西寺跡の「旭の杜」に集合し、西ノ庄の粽の御供、赤飯座(あかいざ)の特殊神饌をお供えして祭典を執行。12時45分頃に西寺跡を出ると御前通を北上、七条通角の朱雀御旅所でも祭典を行い、15時頃から七条通を西に進み、西京極、川勝寺、郡、梅津の旧街道から松尾橋を渡って17時30分~18時頃に本社に戻る。熱狂の中を拝殿廻し、神輿差し上げ、遷霊を終え、神輿は神輿庫へ納められる。
神輿は約1トン。舁き手は30人ほど。多くの交代の舁き手によって担がれ、随所で神輿の差し上げを決める壮観な姿が見られる。途中、台車での移動も。本社、西七条御旅社は露店がいっぱい出て賑わう。
還幸祭の御旅所出発は西七条7時45分頃、川勝寺三宮社8時頃、郡衣手社9時頃。西寺跡の「旭の杜」に集合し、西ノ庄の粽の御供、赤飯座(あかいざ)の特殊神饌をお供えして祭典を執行。12時45分頃に西寺跡を出ると御前通を北上、七条通角の朱雀御旅所でも祭典を行い、15時頃から七条通を西に進み、西京極、川勝寺、郡、梅津の旧街道から松尾橋を渡って17時30分~18時頃に本社に戻る。熱狂の中を拝殿廻し、神輿差し上げ、遷霊を終え、神輿は神輿庫へ納められる。
神輿は約1トン。舁き手は30人ほど。多くの交代の舁き手によって担がれ、随所で神輿の差し上げを決める壮観な姿が見られる。途中、台車での移動も。本社、西七条御旅社は露店がいっぱい出て賑わう。

補足情報
*卯日・酉日:神幸祭と還幸祭を俗に「うかうかとおいで、とっととおかえり」というのは、卯の日に出御(おいで)、酉の日に還御(おかえり)であったことによる。
*松尾七社:大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社。
*唐櫃:月読社の神輿は洪水で失われたといわれ、代わりに唐櫃に分霊を遷して渡御する。
*西寺跡:平安時代に羅生門の東西に設けられた東寺、西寺の西寺の跡。今は碑があるだけ。ちなみに伏見稲荷大社の稲荷祭では稲荷社の神輿が東寺に立ち寄る。
*駕輿丁船: 1996(平成8)年に2隻の船が復活。
*松尾七社:大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社。
*唐櫃:月読社の神輿は洪水で失われたといわれ、代わりに唐櫃に分霊を遷して渡御する。
*西寺跡:平安時代に羅生門の東西に設けられた東寺、西寺の西寺の跡。今は碑があるだけ。ちなみに伏見稲荷大社の稲荷祭では稲荷社の神輿が東寺に立ち寄る。
*駕輿丁船: 1996(平成8)年に2隻の船が復活。
関連リンク | 松尾大社(WEBサイト) |
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参考文献 | 松尾大社(WEBサイト) |
2025年05月現在
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