八瀬赦免地踊やせしゃめんちおどり

八瀬は、京都の市街地からみて北東部に位置する山間の里。比叡山の麓にあり、日本海から京の都へ魚などが運ばれた「鯖街道」が通る、自然豊かなエリアである。京都駅から京都バスで約1時間、「ふるさと前」で下車し徒歩5分のところに八瀬天満宮社がある。八瀬天満宮社の摂社・秋元神社では、毎年10月第2日曜日に「八瀬赦免地踊」が奉納される。灯籠踊り*ともいわれるこの祭りは、細密な透かし彫りを施した「切子灯籠」*が主役。御所染めの刺繍を施した衣装をまとい美しく化粧をした「灯籠着(とろぎ)」と呼ばれる13~14歳の少年たちが、この「切子灯籠」を頭に載せ、夜の闇の中、灯籠の灯りを揺らめかせながらゆっくりと神社へ向かう。
 江戸時代中期より約300年もの間、ここ八瀬に伝承されてきた「赦免地踊」は、京都市登録無形民俗文化財にもなっている由緒ある祭事。かつて後醍醐天皇が密かに比叡山を訪れたときに警護した功績により、八瀬の村人は年貢等を免除された。その後も免除を受けていたが、1707(宝永4)年、延暦寺と山門結界争いがあり幕府に上訴したところ、時の老中・秋元但馬守の裁定で八瀬に大変有利に進み「租税免除(赦免地)」として継続・公認されたという。そのため秋元但馬守への感謝から、八瀬天満宮社の本殿のそばに秋元神社を祀り、「赦免地踊」を奉納するようになったという。
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みどころ

祭りは夜7時ごろから行われる。「切子灯籠」を頭に載せた灯籠着(とろぎ・女装した13~14歳の男子)8名が中心で、その前後に十人頭(じゅうにんがし)、警護(灯籠着の補助役)や踊り子、音頭取り衆が行列を組み、神社に向かう。神社前の石段に着き、この石段を上るところも見どころのひとつ。静寂のなか「忍細道に山椒を植えて、行くとき一つ植えて」と音頭取り衆たちの「道歌」の歌とともに石段を一段一段上っていく。
 石段上の屋形に着くと灯籠着はゆっくりと音頭に合わせて周りをまわる。舞台では三番叟(さんばそう)*が演じられるのに続き、踊り子たちによって手桶を持った「汐汲み踊り」や花籠を持った「花摘み踊り」が披露され、さらに出し物なども奉納される。
 やがて「狩場踊り」の音頭になると、灯籠は警護の者にかぶられ、「いざや帰らんわが宿へ」と早いリズムで歌われ始めると、灯籠も宿元へ走りながら帰って行き、祭りは終焉を迎える。
 音頭は楽譜がなく、すべて口承で伝えられている。曲数は全部で10曲あり、1年目で5曲習い2年目で5曲を習って一通り終わり、それからも、何年もかけて練習するという。風流踊の面影を残している貴重な文化を伝え続ける珍しい祭りである。
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補足情報

*灯籠踊り:灯籠を頭に載せて踊る盆の風流踊り。室町後期に京都辺りでおこり、各地に流行した。京都の八瀬・久多、広島、岩手などに残る。
*切子灯籠:高さ約70cmで赤い紙に「透かし彫り」(武者絵や動物、風景などの絵模様)を白の地紙に張ったもので毎年各町ごとに一対製作する。灯籠は三角形と四角形で囲まれた多面体となっており、透かし彫りは精密な絵柄でこれだけでも芸術作品と言える。
*三番叟:本来は式三番(能の翁)で、翁の舞に続いて舞う役、あるいはその舞。八瀬では赦免地踊が始まる口上(こうじょう)として行われており、舞はない。