吉田神社の節分行事よしだじんじゃのせつぶんぎょうじ

神楽岡とも呼ばれる標高105mの吉田山。その西麓にある吉田神社へは、京阪本線出町柳駅から南東へ徒歩20分、市バスを利用するなら京大正門前が最寄りである。バス停から東一条通を京都大学の時計台などを見ながら徒歩5分で吉田神社一の鳥居に着く。吉田神社は、859(貞観元)年に後に中納言となる藤原山蔭が、奈良春日の神を勧請(かんじょう)し、平安京の鎮守社としたのが始まり。広大な境内には春日造の本宮をはじめ、拝殿、舞殿、直会殿(なおらいでん)、着到殿(ちゃくとうでん)、行事(ぎょうじ)所などの建物が立ち並ぶ。全国の神々を祀る大元宮、菓子の祖神を祀る菓祖神社、包丁と料理の神・藤原山蔭を祀る山蔭神社など、摂社・末社も数多い。
 1年を通じて祭典の多い吉田神社だが、特に有名なものが節分祭。2月2日から4日(閏年の翌年は2月1日から3日)にかけて行われ、主たる祭儀は節分祭初日の疫神祭(えきじんさい)、追儺式(ついなしき)、2日目の火炉祭(かろさい)であり、最終日は節分後日祭が行われる。
 疫神祭は本宮で行われる節分前日祭に引き続いて大元宮にて行われ、疫神(災いをもたらす神)に「荒ぶる事なく山川の清き地に鎮まります」事を祈るために、神酒洗米を撒く祭事である。追儺式は本宮前の舞殿に於いて行われ、俗に「鬼やらい」と呼ばれ疫鬼を追い払う儀式であり、人々の不幸を除き幸福と平和な生活を願うものである。火炉祭は本社の三ノ鳥居前に巨大な火炉を設け参拝者が持参した古い神札を焼き納めるお焚き上げの行事。
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みどころ

吉田神社節分祭は室町時代から行われ、京洛の一大行事とも言われている。
 特に節分祭初日午後6時から行われる追儺式は、平安朝の初期より毎年宮中にて執行されていたものを、古式に則って厳修に伝承・継承されている。松明を持つ童を従え、左右に矛と盾を持った黄金4つ眼の仮面をつけた方相氏(ほうそうし)*が、金棒を振り回して暴れる3匹の疫鬼を追い、次第に境内の隅に追い詰める。最後に朝廷行事の責任役の上卿(しょうけい)が桃の弓で射掛けて鬼を一斉に追い払う。「ガオーガオー」という鬼の雄叫びに子供たちはおびえ、泣き出す子もいるという。またこれらの動きを追う観衆が波のように揺れ迫力満点である。また翌日に改心した「福鬼」となって帰ってくるというのも面白い。
 期間中には多くの露店が立ち並び大勢の参拝客の楽しみとなっており、また豪華賞品の当たる抽選券付きの福豆まきも人気である。
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補足情報

*方相氏:中国古来の疫病退治の神様の名。鬼払いの儀式の際に、鬼を追い払う役目を負った役職の人のこと。当初は鬼を追い払う役目であったが、次第に鬼として追われるようになり、現代行われている節分の豆撒きの原形となったとされている。
関連リンク 吉田神社(WEBサイト)
参考文献 吉田神社(WEBサイト)
「京都府の歴史散歩 中」山川出版社
「四季を彩る京都お祭りガイド」メイツ出版株式会社

2025年05月現在

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