無鄰菴
地下鉄東西線「蹴上」駅下車、北西に徒歩約7分。蹴上駅を出て、右手に琵琶湖疏水のインクライン跡を見ながら進み、南禅寺前の交差点を左に行くと無鄰菴の入口がある。明治の元勲・山縣有朋(やまがたありとも)*の別荘として、1894(明治27)年~1896(明治29)年に造営され、現在は京都市の所有になっている。木造の母屋(おもや)と茶室、洋館があり、東山を借景にした名園で知られる。近代日本庭園の先駆けと称される庭は、三角形の敷地に琵琶湖疏水の水を引き入れ、その流れが芝生を横切り閑雅な趣をつくっている。有朋の設計・監督で、七代目小川治兵衛の作庭と伝える。
洋館の2階には、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎と山縣有朋が日露戦争前の外交について話し合った「無鄰菴会議」に使われた部屋があり、当日の様子を今に伝えている。
周辺には岡崎公園、琵琶湖疎水記念館、南禅寺などがあり、周遊して楽しめる。なお施設の見学・利用*は予約が必要である。
洋館の2階には、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎と山縣有朋が日露戦争前の外交について話し合った「無鄰菴会議」に使われた部屋があり、当日の様子を今に伝えている。
周辺には岡崎公園、琵琶湖疎水記念館、南禅寺などがあり、周遊して楽しめる。なお施設の見学・利用*は予約が必要である。

みどころ
この庭にたたずむと、全てが東山を軸に造られていることがわかる。借景を超えて、これは主山ともいえる。有朋の命を受けて、それを実現したのが七代目小川治兵衛で、約1000坪の別荘としては小ぶりな敷地に、明るい里山の風景から深山の滝まで物語性あふれる空間を生み出した。
山縣有朋は、従来の日本庭園で重視されていた苔や池ではなく、開放的な芝生の空間や琵琶湖疏水を利用した流れを作ることで、近代的な庭景色を作ることに成功している。また、苔ではなく芝生を植えた場所も、朝夕に湿度の高い京都特有の気候によって、徐々に苔が優勢になったところもあったが、「苔によっては面白くないから、私は断じて芝を栽る(うえる)」と。しかし造営からしばらくすると高湿度の環境のもと、苔が優勢に。「苔の青みたる中に名もしらぬ草の花の咲出たるもめつらし」と、有朋は時が経つごとにその美を受け入れ、現在は50種以上の苔がビロードのように広がっている。(無鄰菴WEBサイトより)
山縣有朋は、従来の日本庭園で重視されていた苔や池ではなく、開放的な芝生の空間や琵琶湖疏水を利用した流れを作ることで、近代的な庭景色を作ることに成功している。また、苔ではなく芝生を植えた場所も、朝夕に湿度の高い京都特有の気候によって、徐々に苔が優勢になったところもあったが、「苔によっては面白くないから、私は断じて芝を栽る(うえる)」と。しかし造営からしばらくすると高湿度の環境のもと、苔が優勢に。「苔の青みたる中に名もしらぬ草の花の咲出たるもめつらし」と、有朋は時が経つごとにその美を受け入れ、現在は50種以上の苔がビロードのように広がっている。(無鄰菴WEBサイトより)

補足情報
*山縣有朋:1838-1922 長州藩出身の軍人・政治家。第3代、第9代と内閣総理大臣を歴任し、のちに明治の元勲として大きな影響力を持った。
*施設見学・利用:入場は事前予約制(希望日の30日前から、当日の1時間前まで)。週末庭園めぐり(約90分、有料・要予約)、野鳥ミニ講座、茶道教室などさまざまなイベントを随時開催している。
*施設見学・利用:入場は事前予約制(希望日の30日前から、当日の1時間前まで)。週末庭園めぐり(約90分、有料・要予約)、野鳥ミニ講座、茶道教室などさまざまなイベントを随時開催している。
関連リンク | 無鄰菴(WEBサイト) |
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参考文献 |
無鄰菴(WEBサイト) 「京都ミュージアム探訪」京都市内博物館施設連絡協議会 京都市観光協会 京都観光Navi(WEBサイト) |
2025年05月現在
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