修学院離宮しゅうがくいんりきゅう

市バス修学院離宮道から徒歩15分、または叡山電鉄鞍馬線修学院駅から徒歩20分。雲母(きらら)坂に近い比叡山西麓に1655(明暦元)年のころから1659(万治2)年にかけ、後水尾(ごみずのお)上皇*により造営された。約54万m2に及ぶ広大な敷地を占める離宮は上・中・下の3つのエリアからなり、その間は細い松並木道で結ばれている。上皇の死後、幕府のたびたびの修理にもかかわらず荒廃したが、1823~1824(文政6~7)年に光格天皇によって復興され、1883(明治16)年には宮内省に移管された。翌年、それまでは上・下からなっていた離宮に林丘寺から旧朱宮御所の部分が返還され、現在の上・中・下の離宮からなる形態が整えられた。なお、上・中・下の離宮は長く「御茶屋」と呼ばれていたが、現在は「上離宮」「中離宮」「下離宮」と称している。
 3つの離宮はそれぞれに異なる雰囲気の美を競いながら、いずれも典雅な趣を湛えている。下離宮は書院の寿月観(じゅげつかん)を中心とした池泉観賞式の庭園、中離宮は1668(寛文8)年、後水尾上皇が造営した朱宮(あけのみや)御所(音羽御所)で、のちに林丘寺となっていた。鑓水の流れる庭に楽只軒(らくしけん)と客殿がある。そして修学院離宮の最大の見どころといえるのが、一番の高台にある上離宮の隣雲亭からの眺めである。谷川を巨大な堰堤で堰き止めた浴龍池(よくりゅうち)を中心に、大胆に周囲の棚田や森、京都の市街までも景観に取り入れ、さらには背後に広がる周囲の山々も借景として雄大な庭をつくっている。まさに王者の山荘にふさわしい構成といえる。
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みどころ

参観は下離宮の表総門から始まる。杮葺、扉に花菱の透かし文様がある御幸(みゆき)門を入り、両袖が竹塀の中門を潜ると、左手に寿月観の御輿寄(玄関)が見える。1824(文政7)年に復興された寿月観*は後水尾天皇の御座所だったところ。庭の池畔には楓・ツツジが多い。鰐口(わにぐち)灯籠とも呼ばれるコの字形の袖形(そでがた)灯籠や、四角い朝鮮灯籠、櫓形灯籠が点景となっている。
 東門を出ると茶山、比叡山を背景に視界が開け、田園の中の松並木の道を南にたどると中離宮。楽只軒*に続く客殿*は、御所にあった東福門院の奥対面所を移建したといわれる。障壁画から長押の花車形釘隠し、襖の引手まで、女院の住まいにふさわしい雅な意匠がふんだんに施されている。天下の三棚*に数えられる霞棚(かすみだな)もここにある。庭は流れに沿って植込み、石橋、飛石、キリシタン灯籠などが配されている。
 来た道を戻り、右に曲がって棚田*の中の緩やかな登り道を行く。左手の階段状になった長さ約200mの大きな生垣は、浴龍池の堤防。上離宮の御成門を通り、視界をさえぎる背の高い刈込の間の階段を登り詰めると隣雲亭*が立ち、大刈込の向こうに浴龍池を中心とした大庭園を眼下に、鞍馬・貴船から愛宕(あたご)山までの展望が開ける。標高は約150m、池との標高差は10mほど。下離宮と隣雲亭は40mほどの差がある。池泉回遊式と舟遊式を兼ねた庭園で、池には3つの島が浮かび、楓橋・土橋・千歳橋*が架かる島には窮邃亭(きゅうすいてい)*がある。このほか、大滝(雄滝)、小滝(雌滝)などの名勝があり、堰堤の上に当たる西浜は明るくのびやか。
●修学院離宮参観には事前予約が必要。当日受付枠もある。詳細は公式WEBサイトで要確認。参観は係員が順路に沿って案内し、約80分。
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補足情報

*後水尾上皇:1596~1680年。第108代天皇。後陽成天皇の第3皇子。徳川秀忠の娘東福門院和子を中宮(妻)とした。禁中並公家諸法度を制定して皇室に圧力を加えようとした幕府に反発。興子内親王(明正天皇)に譲位し、4代にわたって院政を行う。学問、詩歌に関心が深く、書にも優れていた。墓所は泉湧寺月輪陵。
*寿月観:屋根は柿葺で、一の間は寄棟造、二の間・三の間は入母屋造になっている。一の間の縁には後水尾上皇宸筆の扁額があり、襖の水墨画「虎渓三笑」は岸駒(がんく)の筆と伝える。三の間の南妻にはこの北に立っていた蔵六庵の扁額が掲げてある。
*楽只軒:朱宮御所の最初の建物で、中離宮の小書院である。一の間の床の間には吉野桜、二の間には龍田川の紅葉の張付絵が狩野探信によって描かれている。
*客殿:入母屋造、木賊(とくさ)葺。一の間の床の間は腰貼りの金と群青の菱形模様が目に鮮やか。5枚の板を霞がたなびくように絶妙のバランスで配置した違い棚が、霞棚。そのバックの貼り付け壁には和歌や漢詩の色紙が散らしてある。下部の地袋には友禅染張図が描かれている。杉戸には祇園祭の山鉾(船鉾・放下<ほうか>鉾・岩戸山<いわとやま>)や、迫力のある大きな鯉の図が描かれている。あちこちを飾る金具には葵の紋が組み込まれている。一の間西側と内仏間の濡縁欄干は漁網を干した形を表わし、網干(あぼし)の欄干と呼ばれる。
*天下の三棚:残り2つは、桂離宮新御殿の桂棚、醍醐寺三宝院宸殿の醍醐棚。
*棚田:宮内庁京都事務所が民間機関に耕作委託して、景観を守っている。
*隣雲亭:1824(文政7)年の再建。展望を目的とした簡素な建物には、床の間も棚もない。北西隅に畳1枚高い上段の席を設け、北側の谷に向かって洗詩台(せんしだい)と呼ぶ板間を突き出している。深い軒下のたたき土間には赤と黒の小さな鴨川石を1個、あるいは2個、3個と埋め、一二三(ひふみ)石といわれる。
*千歳橋:切石組の2つの橋脚に一枚石の橋を架け、上に宝形造と寄棟造の建物を載せた中国風の屋根付き橋。1842(天保13)年建造。
*窮邃亭:修学院離宮造営当初から現存する唯一の建物である。3間四方、宝形造・柿葺で、1間四方の水屋が付いている。「窮邃」の扁額は2つの八角形を組み合わせた特異なもので、後水尾上皇の宸筆である。
関連リンク 宮内庁(WEBサイト)
関連図書 「京都の庭園」京都大学出版会 2017年7月15日
参考文献 宮内庁(WEBサイト)
宮内庁(WEBサイト)

2025年05月現在

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